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新宿区の坂(1) 〜 神楽坂方面 【11坂】
各坂道の位置はこちら → 地図
渡邊坂 (わたなべざか) |
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 >江戸時代、坂の東側に旗本渡邊源蔵の屋敷があったのでこう呼ばれた。源蔵は五百石取りの御書院番で、寛文七年(一六六七)に市谷鷹匠町の屋敷と引換えにこの屋敷を拝領し、渡邊家は幕末までこの地にあった。 牛込天神町交差点から江戸川通りを北に下る坂道です。坂上は地蔵坂(牛込天神町)とつながっています。 → 渡邊坂のページ |
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地蔵坂 (じぞうざか) |
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 『砂子の残月』に「地蔵坂 酒井修理太夫下屋敷脇 天神町へ下る坂也」とある。坂名の由来については不明であるが、おそらく近辺にあった地蔵尊にかかわりがあるものと思われる。 牛込天神町交差点にある坂です。この坂には標識が3本立っています。この地域に「地蔵坂」は神楽坂〜袋町にもうひとつあります。 → 地蔵坂(牛込天神町)のページ |
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比丘尼坂 (びくにざか) |
【標識なし】 矢来町と天神町の間を早稲田通り沿いから北へ下る坂道です。 → 比丘尼坂のページ |
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朧の坂 (おぼろのさか) |
【標識なし】 矢来町にあり、早稲田通り沿いから北へ下る坂道です。坂の途中に中華料理店「りゅうほう」があります。 |
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赤城坂 (あかぎざか) |
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 赤城神社のそばにあるのでこの名がある。「新撰東京名所図会」によれば「…峻悪にして車通るべからず…」とあり、かなりきつい坂だった当時の様子がしのばれる。 → 赤城坂のページ |
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瓢箪坂 (ひょうたんざか) |
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 坂の途中がくびれているため、その形から瓢箪坂とよばれるようになったという。 → 瓢箪坂のページ |
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相生坂 (あいおいざか) |
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 「続江戸砂子」によると、「相生坂、小日向馬場のうえ五軒町の坂なり。二つ並びたるゆえの名也という」とある。また「新撰江戸誌」では鼓坂とみえ「二つありてつづみのごとし」とある。 上の写真は東側の坂、下の写真は西側の坂です。 → 相生坂のページ |
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芥坂 (ごみざか) |
【標識なし】 → 芥坂のページ |
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御殿坂 (ごてんざか) |
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 三代将軍家光の頃、世子家綱の御殿があったことから、御殿坂とよばれるようになった。 → 御殿坂のページ |
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三年坂 (さんねんざか) |
【標識なし】 → 三年坂のページ |
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軽子坂 (かるこざか) |
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 この坂名は新編江戸志や新撰東京名所図会などにもみられる。 軽子とは軽籠持の略称である。今の飯田濠にかつて船着場があり、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れ江戸市中に運搬することを職業とした人がこの辺りに多く住んでいたことからその名がつけられた。 【参考:以前の木製の標識(新宿区教育委員会設置)の説明】 軽子とは軽籠持の略称である。今の飯田濠にかつて船着場があり、船荷を軽籠(縄で編んだもっこ)に入れ、山の手に運搬する軽子がこの通りを行き来したため、この名がついた。 写真右は以前あった木製の標識です。現在の標識はステンレス製の標識(平成15年3月設置)になっています。 → 軽子坂のページ |