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新宿区の坂(2) 〜 神楽坂方面(その2) 【8坂】

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神楽坂
(かぐらざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。

【以前の標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
神楽坂の由来についてはいくつかの説がある。市谷八幡の祭りで牛込見附橋の上で神楽を奏したから。近くの若宮八幡の神楽がこの坂で聞こえたから。この坂のところに赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽に因んだものであるが、いずれの説が正しいかはっきりしない

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地蔵坂
(じぞうざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。それに因んで地蔵坂と呼ばれた。また、藁を売る店があったため、別名「
藁坂」とも呼ばれた。

神楽坂から袋町に上る坂です。

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朝日坂
(あさひざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
この坂の近くに泉蔵院という寺があり、その境内に朝日天神があったため、このあたりは朝日町とよばれていた。坂名はそれらに因むものである。

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袖摺坂
(そですりざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
狭い坂道でお互いに袖を摺り合わせるほどだったという。そんなことから、誰いうとなく袖摺坂というようになったという。

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弁天坂
(べんてんざか)
【標識(東京都設置)の説明】
坂名は坂下の南蔵院境内に弁天堂があったことに由来する。明治後期の「新撰東京名所図会」には南蔵院門前にあまざけやおでんを売る屋台が立ち、人通りも多い様子が描かれている。坂上近くの横寺町四十七番地には尾崎紅葉が明治二十四年から三十六年十月病没するまで住んでいた。門弟泉鏡花、小栗風葉らが玄関番として住み、のちに弟子たちは庭つづきの箪笥町に家を借り、誌星堂または紅葉塾と称した。

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新坂
(しんざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
「御府内沿革図書」によると、享保十六年(一七三一)四月に諏訪安芸守(戸田左門)の屋敷地の中に新しく道路が造られた。新坂は新しく開通した坂として命名されたと伝えられる。

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ゆ嶺坂
(ゆれいざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
江戸初期、この坂のあたりが美しい梅林であったため、二代将軍秀忠が中国江西省の梅の名所大ゆ嶺に因み命名したと伝えられる。別名
「若宮坂」「行人坂」「祐玄坂」とも呼ばれる。

「ゆ」は、「广」の中に「臾」を書きます。

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逢坂
(おうさか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
昔、小野美作吾という人が武蔵守となり、この地に来た時、美しい娘と恋仲になり、のち都に帰って没したが、娘の夢によりこの坂で再び逢ったという伝説に因み、逢坂とよばれるようになった。

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