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荒川区の坂 【10坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

芋坂
(いもざか)
【標識(荒川区教育委員会設置)の説明】
 善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。坂名の由来は未詳。
 明治十五年ころ、日本鉄道会社の東北線(現JR)が通じて分断され、その形状が、失われてしまった。伊藤晴雨が描いた「根岸八景」の「芋坂の晩鐘」は、天王寺の五重塔を望む芋坂の、のどかなたたずまいをよくあらわしている。

JRの線路をはさんで荒川区と台東区の両方にまたがる坂で、坂下が荒川区、坂上が台東区になります。坂下の荒川区部分は、今や坂らしい傾斜がほとんどありません。
 写真で左手前に見える建物は「羽二重団子」です。正岡子規や泉鏡花ゆかりの店のようで、子規の「芋坂の団子も月のゆかりかな」の句碑などが店の前にあります。
御殿坂
(ごてんざか)
【標識(荒川区教育委員会設置)の説明】
西日暮里三丁目と台東区谷中七丁目の境を七面坂から日暮里駅方面へ下る坂。江戸時代から用いられていた呼称である。
 当時の絵図などから、天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたいたことがうかがえる。
 天保九年(一八三八)刊の「妙めを奇談」は寛永(一六二四〜四四)の頃、白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが、坂名の由来は明確ではない。


荒川区と台東区の境界にあり、写真の道の左側は台東区になります。
七面坂
(しちめんざか)
【標識(荒川区教育委員会設置)の説明】
御殿坂上から台東区町名寺の墓地裏を経て、宗林寺(通称萩寺)の前へ下る坂道をいう。坂名の由来は、坂上北側の宝珠山延命院の七面堂にちなむ。


写真において、道の右側が荒川区、左側が台東区になります。
夕焼けだんだん 坂下に木板(2枚)に「夕焼けだんだん」と書かれた標識があります(写真右下)

西(まさに夕日)に向かって下る階段で、下ったところは谷中銀座になります。
富士見坂
(ふじみざか)
【標識(荒川区教育委員会設置)の説明】
坂下の北側の墓地は日蓮宗妙隆寺(修性院に合併)の跡。妙隆寺が花見寺と呼ばれたことから、この坂も通称
「花見坂」、または「妙隆寺坂」と称された。
 都内各地に残る「富士見」を冠する地名のなかで、現在でも富士山を望むことができる坂である。

→ 富士見坂のページ
地蔵坂
(じぞうざか)
【標識(荒川区教育委員会設置)の説明】
この坂はJR西日暮里駅の西わきへ屈折して下る坂である。坂名の由来は、諏方神社の別当寺であった浄光寺に、江戸六地蔵の三番目として有名な地蔵尊が安置されていることにちなむという。


→ 地蔵坂のページ
間の坂
【標識なし】

写真右側はJR西日暮里駅です。
ひぐらし坂 平成2年に荒川区によって命名された坂道です。開成高校の南〜東側を登る坂道です。

→ ひぐらし坂のページ
向陵稲荷坂
(こうりょういなりざか)
平成2年に荒川区によって命名された坂道です。写真左で道の右側に向陵稲荷があり、その下には開成中学があります。写真右側には開成高校があります。

→ 向陵稲荷坂のページ

道灌山坂
(どうかんやまざか)
平成18年に荒川区によって新たに命名された坂道です。

→ 道灌山坂のページ