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新宿区の坂(5) 〜 曙橋方面 【17坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

茗荷坂
(みょうがざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
江戸時代まで、この坂は源慶寺と東長寺に沿って市谷村の茗荷畑であったためこう呼ばれた。

文京区小日向の茗荷谷にも、茗荷坂という名の坂道があります。
安保坂
(あぼざか)
【標識(東京都設置)の説明】
この道路は昭和十九年七月に都道として認定されたもので、坂名がついたのもきわめて新しい。その時の東京都告示は「牛込区市ヶ谷富久町及四谷区四谷四丁目、花園町地内に於て(中略)市道の路線を認定し之が区域を決定し其の供用を開始す」とある。坂名の安保は、この地に男爵安保清種海軍大将が住んでいたことに由来する。


安保清種という人は、日本海海戦において戦艦三笠で砲術長をつとめ、のちに浜口内閣・第二次若槻内閣で海軍大臣になっているようです。
禿坂
(かむろざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
昔、この坂下の自証院の横に小さな池があり、水遊びにくる禿頭(おかっぱを短く切りそろえたような髪型)の童たちの姿が見られたことから禿坂と呼ばれるようになった。
暗坂
[暗闇坂]

(くらやみざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
くらがり坂ともいう。江戸時代中期より知られ、「御府内沿革図書」に暗坂、「江戸名勝志」にくらがり坂の記載がある。坂名はこの坂の片側の全長寺墓地の樹木が繁り暗かったためこう呼ばれたという。暗闇坂は明治以後の熟語で、本来は暗坂と書いた。
新坂
(しんざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
荒木町と舟町との境を北へ靖国通り手前までくだる坂である。この坂は、全勝寺の地所を削って新しくできたので新坂と称した。新撰東京名所図会に「全勝寺は・・・大門長くして杉樹連なりしを以て俗に杉門と呼べり。今は杉樹は伐採し、其の道は新道に通じ直に市ヶ谷に達せり」と記している。
台町坂
(だいまちざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
住吉町から市谷台町の中央を余丁町方向にのぼる坂である。坂の名は、町名の市谷台町に因むものである。

現在、道路整備工事中のためか、標識(写真下。1999年撮影)は撤去されています。
安養寺坂
(あんようじざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
新編東京名所図会に「安養寺坂は念佛坂の少しく北の方を西に大久保余丁町に上る坂路をいう。傍らに安養寺あるに因めり」。安養寺坂の坂名となった安養寺は浄土宗知恩院末の寺院でもと市谷左内町富士見坂のあたりにあった。それが尾張藩邸内ということで現在地に移ったという


安養寺
念仏坂
(ねんぶつざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
新撰東京名所図会によると、昔この坂あたりに老僧がいて、昼夜念仏を唱えていたという。また、この坂の左右は谷に臨んで屈曲し危険であったので通行人は念仏を唱えて往来したという。
合羽坂
(かっぱざか)
【標識(東京都設置)の説明】
新撰東京名所図会によれば「合羽坂は四谷区市谷片町の前より本村町に沿うて、仲之町に上る坂路をいう。昔此坂の東南に蓮池と称する大池あり。雨夜など獺(かわうそ)しばしば出たりしを、里人誤りて河童と思いしより坂の呼名と…転じて合羽の文字を用い云々」、何れにしても、昔この辺りは湿地帯であったことを意味し、この坂名がつけられたものと思われる。

→ 合羽坂のページ
仲坂
(なかざか)
坂下脇に「仲坂」と彫られた小さい石柱があります。

→ 仲坂のページ
津の守坂
(つのかみざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
荒木町と三栄町の境を靖国通り手前までくだる坂である。別名を
小栗坂ともいう。昔坂上の西脇に松平摂津の守の屋敷があったのでその名を略して津の守坂と称した。

→ 津の守坂のページ
坂町坂
(さかまちざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
坂名は「坂町」という町名にちなんで、呼ばれていたようである。『御府内備考』では、坂の名称はつけられていないものの、百メートルを越す長さがあることが記されている。

→ 坂町坂のページ
新五段坂
(しんごだんざか)
【標識なし】

左の写真で坂の左側には防衛省があります。
銀杏坂
(いちょうざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
この坂の由来は、かつて弧の坂の北側にあった久貝因幡守の邸内に銀杏稲荷があり、其の神木の銀杏の大樹に因みそう呼ばれたと伝えられる。
焼餅坂
(やきもちざか)
【標識(東京都設置)の説明】
昔、この辺りに焼餅を売る店があったのでこの名がついたものと思われる。別名
赤根坂ともいわれている。新撰東京名所図会に「市谷山伏町と同甲良町との間を上る。西の方柳町へ下る坂あり、焼餅坂という。即ち、岩戸町箪笥町上り通ずる区市改正の大通りなり」とある。また「続江戸砂子」「御付内備考」にも、焼餅坂の名が述べられている。
宝竜寺坂
[幽霊坂]
(ほうりゅうじざか[ゆうれいざか])
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
昔、この辺りは七軒寺町という寺町で、この坂の上に宝竜寺という寺があったためこう呼ばれた。また明治頃、寺の樹木が繁り淋しい坂であり幽霊が出るといわれたため幽霊坂とも呼ばれた。

→ 宝竜寺坂のページ
滝の坂
(たきのさか)
【標識なし】

早稲田通りから榎町40番と41番の間を南に登る坂道です。

→ 滝の坂のページ