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大田区の坂(1) 〜 田園調布・鵜の木方面 【9坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

急坂
(きゅうざか)
【標識(大田区設置)の説明】
急な大きい坂であるため、急坂と呼ばれる。「
五丁目の急坂」といわれて親しまれ、この付近の目標にもなっている。

名前の通り急な坂です。多摩川方向に向って下ります。
馬坂
(うまざか)
【標識(大田区設置)の説明】
この坂道は、大正のころまで馬が引く荷車で台地を上る唯一の坂道であるため馬坂と呼ばれていた。昔は荷車が通るだけの狭い道幅であったが、耕地整理により道幅も現在に近いものになったといわれる。また、
寺坂とよばれたこともあった。

急坂の近くにあります。同じく多摩川方向に向って下る長い坂です。
どりこの坂 【標識(大田区設置)の説明】
昭和の初めごろ、坂付近に「どりこの」という名の清涼飲料水を開発した医学博士が屋敷をかまえたので、誰いうとなく「どりこの坂」と呼ぶようになったといわれている。それまでは
池山の坂といっていたという。

→ どりこの坂のページ
富士見坂
(ふじみざか)
【標識(大田区設置)の説明】
この坂道は大正末期ごろから行われた区画整理によって出来た道である。ここからは富士山がよく見えるので富士見坂と呼ぶようになったといわれている。


*田園調布一丁目、東急多摩川駅近くにあります。

→ 富士見坂のページ
桜坂
(さくらざか)
【標識(大田区設置)の説明】
この坂道は、旧中原街道の切通しで、昔は沼部大坂といい、勾配のきつい坂で、荷車の通行などは大変であったという。
今ではゆるい傾斜道となっているが、坂の西側に旧中原街道のおもかげを残している。坂名は両側に植えられた桜に因む。


→ 桜坂のページ
おいと坂 【標識(大田区設置)の説明】
『大森区史』は「下沼部にある。伝えるところによれば、北条時頼行脚して中原に来た。病を得て難治であった。井戸水があって使用したところ程なく全治した。その井戸は沼部に一つ中原に一つあった。後、中原の井戸を沼部に移し雌井、雄井と称した。おいと坂は即ち雄井戸坂のことであろう」と記している。


桜坂から南へ100mほどいったところにあります。

→ おいと坂のページ
河原坂
(かわらざか)
【標識(大田区設置)の説明】
現在の、鵜の木二、三丁目付近は、昔、多摩川の河川敷であったので、河原の地名がある。坂名の由来は、河原に出る坂道であることによる。今は「切通」になって、ゆるやかであるが、以前は道幅も狭く急な坂で、河原の畑を往来する荷車などは難儀をしたという。

鵜の木駅からすぐのところにあります。坂の左手は松が生えている小山になっており、「松山」と呼ばれているとのこと。
富士見坂
(ふじみざか)
【標識なし】

鵜の木1丁目にある坂道です。
ぬめり坂 【標識(大田区設置)の説明】
『大森区史』は「鵜の木に用水を渡ってうっそうとした樹下を登るなだらかな坂がある。なだらかな坂ではあるが、ぬめって上れなかった。付近の豪家に美しい娘があった。娘は人々の難渋を気の毒に思い、自ら望んでその坂に生埋となった。以来その坂の通行は容易になり、大いに付近は繁栄したという」と記している。

坂下には藤森稲荷という小さな神社があります。