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桜坂(さくらざか)
所在地: 大田区田園調布本町、旧中原街道 → 地図
@ 坂下のさらに下から。信号が見える所は「さくら坂交差点」である。 |
A 坂下から。2002年12月撮影。右に石製の標識と木柱の標識が見える。 |
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B 同じく坂下から。 |
C Bから少し上った所から見上げる。2002年12月撮影。 |
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D Cとほぼ同じ高さから見下ろす。 |
E Dとほぼ同じ所から見上げる。 |
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F DEから少し上った所から見下ろす。 |
G Fとほぼ同じ所から「桜橋」を見上げる。 |
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H 桜橋の下から見下ろす。 |
I 桜橋の下から少し上った所から見上げる。 |
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J Iから少し上った所から見下ろす。 |
K Jとほぼ同じ所から見上げる。 |
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L JKから少し上った所から見下ろす。 |
M Lとほぼ同じ所から見上げる。 |
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N坂上から。右に石製の標識が見える。 |
O同じく坂上から。2002年12月撮影。右に石製の標識が見える。 |
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P 同じく坂上から。左に木柱の標識、右に石製の標識が見える。 |
Q 同じく坂上から。 |
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R 桜橋から坂下方向を見る |
S 桜橋から坂上方向を見る |
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(21) 桜橋の脇(西側)から坂上方向を見る |
(22) 桜橋の脇(東側)から坂上方向を見る |
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(23) 桜橋 |
(24) 桜橋 |
(25) 坂下から少し上った所から見上げる |
(26) 桜橋 |
(27) 桜橋の下付近から見上げる。 |
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(28) (27)から少し上った所から見上げる。 |
(29) (28)から少し上った所から見上げる。 |
(30) (29)から少し上った所から見下ろす。 |
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(31)坂下にある標識(大田区設置) |
(32)坂下にある石製の標識 |
(33)坂下部にある「大田区文化財 旧中原街道」の標識(大田区教育委員会設置) |
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(34)坂下にある標識(大田区設置) |
(35)坂上にある石製の標識 |
【標 識】 説 明: この坂道は、旧中原街道の切通しで、昔は沼部大坂といい、勾配のきつい坂で、荷車の通行などは大変であったという。今ではゆるい傾斜道となっているが、坂の西側に旧中原街道のおもかげを残している。坂名は両側に植えられた桜に因む。 設置者: 大田区 設置日: 昭和五十九年三月 |
【この坂について】
大田区田園調布本町19番/18番と42番/43番./44番の間を南西から東北へと上る坂道です。旧中原街道にあり、切通しとなっている坂道です。切通しの上の道の両側にには、名前の由来となっている多くの桜の木が植えられています。
福山雅治の同名の曲「桜坂」(2000年発売)ですっかり有名となりました。
坂の中ほどには「桜橋」と名付けられた赤く塗られた橋がかけられており、春になるとここから桜の花が楽しめます。
坂の標識としては、坂上と坂下に大田区が設置した木製の柱のもの(写真(31)(34))、石製の柱((32)(35))の2種類があります。
このうち、石製のものは正面に「さくら坂」と彫られ、裏側(坂下。坂上では側面)に「昭和五年五月五日」と記されてい ます。
坂下部には、大田区教育委員会が設置した「大田区文化財 旧中原街道」の標識が立っています(写真(33))。そこには以下の文章が記載されています。
大田区文化財 旧中原街道
中原街道は、江戸から相州の平塚中原に通じる道で、中原往還、相州街道とも呼ばれた。また中原産の食酢を江戸に運ぶ運送路として利用されたため、御酢街道とも呼ばれた。
すでに近世以前に存在し、徳川家康が江戸に入国した際に利用され、その後、部分改修されて造成された道である。
江戸初期には、参勤交代の道としても利用されたが、公用交通のための東海道が整備されると、脇往還として江戸への物資の流通や将軍の鷹狩などにもしばしば利用された。また平塚からは東海道よりも短距離であったため、急ぎの旅人たちに近道として好まれたという。
中原街道の旧道の様子を残しているのは、区内ではこの付近だけである。
昭和四十九年二月二日指定
大田区教育委員会
【写真撮影日】 | 2002年12月23日(ACO(31)(33))、 2010年4月10日(左記以外) |
【この坂の 本サイト掲載日】 | 2002年12月23日 |
【このページの作成日】 | 2010年5月1日(2010年11月3日一部修正) |