コラム(2002年)
(2002年12月23日)
ほぼ1か月ぶりのコラム更新です。非常に多忙だったため、しばらくサイト全般で更新がとまっていましたが、本日久しぶりに更新し、10坂を追加し、合計500坂に到達しました。自分でも、まあここまでよーやるわ、という感じ。東京の名の付く坂道の9割ほどはこれでカバーできたのではないか、と想像しますが、残りはいろいろな場所に散らばっているので、少しずつ地道に増やしていきます。
(2002年11月24日)
昨日、品川区の残り(西小山・旗の台方面)と、大田区(千束、雪谷方面)を追加しました。大田区の西側(旧大森区)は丘陵地帯で起伏が多く、かなりの数の坂道があるのですが、割といろいろなところに散らばっていて、「坂道廻り」をするにも、ルート取りが難しいです。このため、掲載した坂の数は増えたものの、行き損じた坂道がところどころに出てきてしまいしました。特に、最近は日が暮れるのが早くなり、16:30にはもう暗くなってしまうので、廻れる坂道の数も自然と減ってしまったのも、その原因の一つになっています。あるサイトによると、大田区の名前のある坂道は49あるそうですが、そうなると、あと12ですね。
現在、合計で490坂。500まであとわずかになりました。きちんと皮算用しているわけではないですけど、おそらく最低でも520くらいはいけるのではないかと思っています。大田区だけではなく、他の区でも、ルート取りの関係等でところどころ行き損じている坂(例:港区安鎮坂)、あるいは以前訪れたけれども写真を撮っていなかった坂(例:千代田区正和坂)などがありますし、まだ、東京西部の区はまだほとんど訪れていませんので。
それから、坂道の位置を示す地図を作っていない地域がかなりありますが、作成には結構時間がかかることもあって、多忙な現状では、新規の地図追加は暫く後回しにしますので御容赦ください。
(2002年11月17日)
この週末は、多忙のため、坂道の追加等、大きな更新はなしです。本日、アクセス数が1000を突破しました。
(2002年11月9日)
本日は、西馬込駅まで地下鉄で行き、そこから、おいはぎ坂、鐙坂・・・と馬込周辺で残っていた坂を巡ったのち、仲池上から上池台方面へと北上しました。日が暮れるのが早く、17時には暗くなり夫婦坂で終了。結局、15坂を追加したことになります。大田区の坂はこれでかなり踏破しましたが、千束方面をはじめ、まだ10ほど残っています。
これで481坂。訪問していないが、場所はわかっている坂は、以前と比べだいぶ減ってきたとはいえ、まだあるので、500坂はいずれ達成できると思います。
それから、23区内の坂道も、そのほとんどが集まってきたといえることから、今回、新たに「トピック」欄を設け、東京23区の坂道に関するいろいろなトピックについて述べていくことにしました。第一回は「東京の坂道・概説」。一般的な話を簡潔に書いてあります。
(2002年11月2日)
本日、北区の王子方面から上中里方面へ行き、芝坂、六石坂、蝉坂、大炊介坂を訪問。先週の分も含めて北区の「上中里・西ヶ原方面」「王子・東十条方面」の11の坂道(ブラス番外1)をサイトにアップしました。「番外」とは、モチ坂のことで、坂道の標識はあるけど坂道がない(見当たらない)というもの。かつてあったが、今は道として残っていないものです。
(2002年10月28日)
昨日は、懸案の北区の残りの探索。季節の変わり目のせいか、最近風邪を引いている人が多いですが、私もその一人になってしまいこの数日体調をちょっと壊しています。そのため、赤羽(清水坂)から王子(飛鳥大坂)まで歩くのにとどめて帰りました。それでもいくつかの坂道の写真は撮ってきました。
(2002年10月20日)
降雨の予報が出ていた今日、池上本門寺へ行ってきました。訪れるのは実は初めてだったのですが、大田区にこのような大きな「山寺」があるのには、一種の感慨がありました。坂道は本門寺周りだけでいくつもあり、さらに大森まで歩く途中でいくつかを訪れましたが、幸い雨にはあわずに済みました。大森の闇坂の途中でデジカメのメディアを使い切ってしまい、八景坂までいけなかったのが残念ではありますが・・・。それぞれの坂道の写真等は近々サイトにアップするつもりです。
(2002年10月14日)
北区の残りの坂道に行こうと思いましたが、交通の接続が悪くてかなり待たねばならず、また続けて同じ方面でも飽きるので、まだ行ったことがなかった五反田・戸越銀座・大崎周辺の坂道へ行ってきました。戸越銀座(名の付く5本の坂道が並行して戸越銀座通りへ下っている)は初めて行きましたけど、結構な賑わいでした。もっとも平和坂のあたりまで来ると人通りがあまりなかったですが。それから百反坂(百反通り)の長いこと。
(2002年10月13日)
赤羽へ再び行ってきました。昨日、今後の課題だと書いた赤羽方面の、「野間坂」、「師団坂」などを追加しました。このうち、「野間坂」「真正寺坂」「静勝寺の坂」は、とあるウェブサイトで存在を知った、姥ヶ橋交差点にある「稲付の小径」と題された案内板(写真右)を参考にして見つけました(この案内板には設置者は記されていませんでしたが、北区でしょうか))。
清水坂など東十条周辺の坂道までは、日が暮れてきたので行くのは取りやめました(日照時間が短くなってきていることを実感します)。北区では、東十条、王子、上中里周辺の坂がまだ残っています。
← 写真をクリックすると拡大します。
(2002年10月12日)
ほぼ一月ぶりのコラム更新です。この間、googleにも載ったようで、アクセスの数が以前に比べると増えてきました。それに応えられるよう内容の充実に努めていきたいと思います。
また、ウェブ空間上では情報が少ない北区の坂道の探訪を開始しました。この北区は、(23区に住んでながら、これまでほとんど足を踏み入れたことがなかったのですが)坂道の数は結構あるようで、標識もある程度立てられているものの、検索エンジンで調べると、文京区、千代田区、港区、新宿区など「都心」にある区に比べると、扱っているサイトはほとんどないのが実情です。坂道総数585を誇る『歩いてみたい東京の坂』(参考文献のページ参照)も、北区の坂(特に赤羽方面)はあまり十分にカバーしてない(=掲載していない坂道がいくつもある)といってよいでしょう。(ついでに言うと、普段私が使用している『東京 山手・下町散歩(どこでもアウトドアシリーズ)』(これも参考文献のページ参照)に赤羽周辺が載っていないことも大きい!)
先日、赤羽にあると言われる坂道(インターネット上で見つけたもの)を、大体の場所の見当を付けて、探しに歩きました。いくつかは実際に見つかった(10月5日に本サイトにup)ものの、(途中で日が暮れてきたせいもあり)まだ行っていない坂もあります(「清水坂」「師団坂」など)。また、存在するらしいが場所がまだよく分からない坂もあります(「野間坂」など)。また偶然見つける坂道も出てくるかもしれません。いずれにしろ、この方面は今後の課題ですね。
なお、赤羽西を歩いている途中、「弁天坂下」というバス亭を見つけたので、その近くにある(いかにも名前の付きそうな)坂道(左の写真)がその「弁天坂」なのかな、と思いましたが、標識がなく、先の『歩いてみたい東京の坂』くらいしか「証拠」がなく、今のところサイト上は載せていません。
← これは「弁天坂」?
(2002年9月7日)
昨日、合計400坂に到達しました。あと、百数十坂ほどです。
また、同時に文京区の坂はほぼすべてupしました。訪問時に工事中で通れなかった「異人坂」には再トライしないといけないですが。文京区はありがたいことに坂の標識の解説が詳しいのですが、ウェブにその文章を載せる身としては書き写すのが大変でした。この作業がほぼ済んで、ある意味でホッとしつつあります。
(2002年8月24日)
初めて訪れる坂道に行って困るのが、標識がない場合です。地図には「○○坂」とあった場合、(勘定したわけではないが概ね)7,8割の坂道には標識があるのですが、標識がない坂道も結構多い。このため、「○○坂」の場所については必ずしも確証を以って断言できているわけではありません。坂道のあるような地形ですから、近隣にいくつも坂道があって、迷うこともあります。困ったことに、坂を紹介している文献等が示している場所も、経験上、「正しい場所」を指し示しているとは必ずしも言えないのです。
もっとも、さらに考えると、区などが「○○坂」であると標識を設置している坂道も、本当にそれが昔から「○○坂」と呼ばれてきた坂道であるとは断定できないでしょう(実際、異説がある場合があります)。そもそも、さかのぼれば、坂道の名称はもともとその周辺に住民が勝手につけた名前に起源があるはずで、ある住民は、近くの別の住民が「○○坂」と指し示す坂道とは異なる坂道のことを同じ「○○坂」と呼んでいた可能性もあると思います。言っても詮方ないことではありますが、要するに、坂道の場所を100%の確度で保証してくれるものはないだろうというです。
ですので、このサイトに載せている坂道の場所も、概ねこの場所であると世(の一部)で認識されているところ、という位置付けで見ていただければと思います。もし明らかな誤り等あればご指摘していただきたいと思います。
ところで、標識がないといえば、「三宅坂」(千代田区)や権之助坂(目黒区)のように、有名なのに標識がない坂道もあります。なぜでしょうか?
(2002年8月14日)
本日、このサイトを公開しました。HNはfookeyといいます。よろしくお願いします。
この「コラム」欄では、東京の坂道に関連する話を思いつくまま書いてみるつもりです。
東京の坂道を巡り始めたのは、1999年頃です。身体を動かすことを兼ねて都内を散歩しようと思い、そのための用に『東京 山手・下町散歩(どこでもアウトドアシリーズ)』(昭文社)を買ったのがきっかけです。参考文献のページにも書きましたが、この本にある地図には沢山の坂道が載っていたので、興味を覚え、写真を撮影し標識の説明を書き写しながらその坂道を上り(又は下り)に行き始めました。
当時は、休日を使って、200程度の都内の坂道を訪れました。その後、しばらく坂道訪問は行っていなかったのですが、最近、訪問を再開しました。
以前は、ウェブサイトをつくるつもりはなかった(そもそもサイト作成の経験なし)のですが、今年半ばになって、(同様にサイト作成経験のない)知人との間で何でもよいので自分のホームページをお互い作ることを約束したので、まずは手始めに東京の坂道を材料としたこのサイトを立ち上げることにしました。もっとも、坂の数が多いこと、標識の説明文の打ち込みに時間を要したこと(特に文京区は坂数が多い上に標識の説明が充実していてサイトをつくる立場としては大変でした)、1999年頃の写真(プリント写真)をスキャナで読み込んで電子化するのに手間がかかったことから、当初の想像以上に立ち上げまでに時間がかかってしまいましたが。
本サイト立ち上げ時点で、坂の総数は「372」です(よくまあこんなに行ったものだと思います)が、文献によると都内には500以上の坂があるようです。まだ位置はわかっているものの訪問していない坂、訪問し忘れた坂道などが数多くありますし、またサイトの中身にも物足りない部分がありますので、今後、余裕を見ながら、本サイトの内容は充実させていきたいと思います。
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