HOME > 港区の坂(4)六本木方面

港区の坂(4) 〜 六本木方面 【11坂】

各坂道の位置はこちら → 地図  

スペイン坂
(Cuesta de Espana)
【標識(アークヒルズ自治会、森ビル株式会社の設置)の説明】
1986年(昭和61年)、20年近い歳月を経て、赤坂(Akasaka)と六本木(Roppongi)の結び目(Knot)アークヒルズ(ARK HILLS)は誕生しました。当時の民間における都市再開発事業としては最大級の規模(総敷地面積56,000u)を誇り、共同住宅、オフィス、ホテル、テレビスタジオ、コンサートホールなどを組み合わせた複合型街づくりは、その後の都心部における再開発事業のさきがけとなりました。
 そのアークヒルズの南方に位置するこの坂道は、六本木通りからスペイン大使館につながることから「スペイン坂」と名付けられ、多くの人々に親しまれています。
 春には、両側の歩道に植えられた桜が坂道を被うように咲き乱れ、都心における桜の名所としても知られています。

坂を上るとスペイン大使館の裏手に出ます。
地図と標識の写真はこちら →
 
道源寺坂
(どうげんじざか)
【標識(港区設置)の説明】
江戸時代のはじめから坂の上に道源寺があった。その寺名にちなんで道源寺坂または
道源坂と呼んでいた。

→ 道源寺坂のページ
御組坂
(おくみざか)
【標識(港区設置)の説明】
幕府御先手組(おさきてぐみ。戦時の先頭部隊で、常時は放火・盗賊を取り締まる)の屋敷が南側にあったので坂名となった。


→ 御組坂のページ
なだれ坂
(なだれざか)
【標識(港区設置)の説明】
流華・奈大礼・長華などと書いた。土崩れがあったためか。
幸国(寺)坂、市兵衛坂の別名もあった。
寄席坂
(よせざか)
【標識(港区設置)の説明】
坂の途中の北側に明治から大正三年にかけて福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになった。



→ 寄席坂のページ
丹波谷坂
(たんぱだにざか)
【標識(港区設置)の説明】
元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初期この坂を開き、谷の名から坂の名称とした。


→ 丹波谷坂のページ
不動坂
(ふどうざか)
【標識なし】

丹波谷坂の南に位置する坂です。坂の標識はありませんが、写真にみえるとおり、『総合法律事務所六本木不動坂ビル』の看板がここが不動坂であることを示しています。右手前に見える建物が、この坂の名前の由来となった不動院です。
閻魔坂
(えんまざか)
【標識なし】

墓地の脇から六本木3丁目13番と14番の間を上る坂道です。
市三坂
(いちみざか)
【標識(港区設置)の説明】
明治二十年代に開かれた坂。名主の名がついた市兵衛町と松平三河守忠直邸のあった三河町との間で両頭文字をとった。


六本木通りを溜池方向から六本木交差点へ向けて上る坂です。
饂飩坂
(うどんざか)
【標識(港区設置)の説明】
天明年間末(1788)頃まで松屋伊兵衛といううどん屋があったためうどん坂と呼ぶようになった。昔の芋洗坂とまちがうこともある。
芋洗坂
(いもあらいざか)
【標識(港区設置)の説明】
正しくは、麻布警察署裏へ上る道をいったが、六本木交差点への道が明治以後にできて、こちらをいう人が多くなった。芋問屋があったからという。