HOME千代田区の坂(5)九段方面>二合半坂

二合半坂(にごうはんきざか)

 別  名: 日光坂
 所在地: 千代田区富士見一丁目  → 地図

@ 坂下から

A @から上った所から坂下を見下ろす

B Aとほぼ同じ所から見上げる。坂道はここから直線になる。

C Bから少し上った所から見下ろす。

D Cから少し上った所から見上げる。坂道はここから暫く平坦になる。

E Dから更に上った地点から見上げる。写真左側(東側)は暁星小学校。

F Eから更に進んだ所から坂上部を望む。左に標識が見える。写真右側(西側)は暁星中学・高校。この辺りで再び傾斜がつく。

G Fとほぼ同じ所から見上げる。2003年撮影。左にかつての標識が見える。


 
H FGから少し上った所から見下ろす。右に標識が見える。


  I 坂上部から見下ろす。1999年撮影。中央やや右に標識が見えるが、現在のものとは異なりシルバーカラーのものであった。

 
 J 坂上から。

  K 坂上手前から。

 
L 坂上部にある標識(千代田区設置)

   M Lと同じ標識。

N 同じ場所にかつて設置されていた標識(千代田区設置)。2003年撮影。 O Nと同じ標識。以前の標識に付いていた坂名説明板及び設置者表示板をそのまま貼り付けているようである。

【標 識】
説明
 この坂は二合半坂と呼ばれています。名前の由来は諸説あります。
 『再校江戸砂子』という史料には、日光山が半分見えるためと書かれています。なぜ「日光山が半分見える」と『二合半』になるのでしょう。このことについて、『新撰東京名所図会』という史料での考えを紹介しましょう。
 富士山は麓から頂上までを十分割して一合・二合・・・と数えますが、西側に見える富士山と比べると日光山はその半分の高さ(五合)に見え、その日光山がこの坂からは半分しか見えないので五合の半分で二合半になるという考えです。
 この他に、あまりに急な坂であるため一合の酒を飲んでも二合半飲んだ時のように酔ってしまうからという説もあります。

設置者: 千代田区
設置日 昭和五十年三月(平成二十一年七月補修)


【この坂について】
 冬青木坂の坂上から北方に下る坂道です。坂道の中央は平坦になっています。

 標識は、千代田区設置のものが坂上部に1本立っています(写真LM)。
 2003年に訪問した際には、写真NOにある標識(千代田区設置)が同じ場所に設置されていました。その説明の文章は、現在と同じです。  この時の標識は、それ以前にあった後述のシルバーカラーの標識の表示板をそのまま流用したものと思われます。
 それ以前、1999年に訪問した際には、メタルカラーの標識(千代田区設置)が同じ場所に立っていました(写真I)。その説明は、上記の2つとも異なっていて、次のとおりでした。
【以前の標識の説明】
の坂を二合半坂といいます。また日光坂ともよばれています。「江戸砂子」という本には「日光山半ば見ゆる故ともいうとあり。富士山は一合より十合まで数うる例により日光山をば五合にみつもりていえるにや」とかかれ、「日光半」だとしているが、どれもこじつけめいています。また急な坂であるため酒を二合半飲んでも五合の人のように酔うようになるからともいいます。


【写真撮影日】 1999年(I)、2003年6月22日(@AC、G、J、NO)、2010年9月12日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2004年7月31日(2010年9月12日一部修正)