HOME千代田区の坂(2)霞が関・永田町方面>霞ヶ関坂

霞が関坂(かすみがせきざか)

所在地: 千代田区霞が関二丁目 → 地図  

@ 坂下から


A 坂下から。右手前の白い建物は中央合同庁舎2号館(総務省、警察庁など)、右奥の建物は同3号館(国土交通省)。

B 坂下から

C 坂上から。右に標識(千代田区設置)が見える。

D 坂上から。道路の右側の建物は外務省。

E 坂上から
F 坂下の標識(千代田区設置)

G 坂上の標識(千代田区設置)

H 坂下付近にある「霞が関跡」の標識(千代田区教育委員会設置)

【標 識】
説明
 この坂を霞が関坂といいます。中世のころこのあたりに関所が置かれていたといわれ、景勝の地として古歌にもうたわれたものが多く、霞が関の名の起りとなっているようです。江戸時代は広壮な諸大名の屋敷がならんで錦絵にも画かれました。いまでは霞が関というと中央官庁の代名詞につかわれています。
設置者: 千代田区
設置日 昭和五十一年三月


【この坂について】
 桜田通り(国道一号線)の霞が関一丁目交差点を東から西に上る坂道です。坂上は六本木通りの外務省上交差点です。
 坂道の北側には中央合同庁舎ニ号館(総務省、警察庁などが入居)と中央合同庁舎三号館(国土交通省が入居)、坂道の南側には外務省があります。
 この坂道は、外務省を挟んで潮見坂と平行しています。

 標識は坂上と坂下の両方に千代田区が設置したものがあります。説明文は同じですが、標識の材質等が坂上と坂下では異なったものとなっています(写真FG)。

 中央合同第二庁舎の桜田通り沿いの前には、千代田区教育委員会設置の「霞が関跡」の標識(平成十二年三月立替)が立っています(写真H)。その説明は以下のとおり。

 この辺りは、江戸時代、霞が関と呼ばれ、武家屋敷が建ち並んでいました。そして、その名は代々受け継がれ、現在では中央官庁街の代名詞になっています。
 霞が関は、武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)の中にあったといわれていますが、正確な場所は分かっていません。今のところ、霞が関のあったとされる場所として、千代田区・多摩市・狭山市が考えられています。
 千代田区に霞が関があったとの説は、『武蔵野地名考』という資料の「上古ハ荏原郡に属す今ハ豊嶋郡にあり。」という記述、『江戸名所図会』という資料の「桜田御門の南、黒田家と浅野家の間の坂をいふ。往古の奥州街道にして、関門のありし地なり。」という記述から導き出されています。
 また、名前の由来については、『武蔵野地名考』に「この場所から雲や霞の向こうに景色を眺めることができるため」と記されています。

この「霞が関」という地名については、ここが詳しいです(これによると、上記説明の千代田区、多摩市、狭山市、新宿区にも「霞が関」があったとされる候補地があるとか)。ここにも記されていましたが、埼玉県川越市にも「霞が関」という地名があり、東武線東上線に「霞ヶ関」という名の駅もありますが、これは狭山市にあったとされる「霞が関」に由来するもののようです。。

【写真撮影日】  2002年7月9日(C)、2002年10月6日(@F)、2002年11月24日(AH)、2003年7月27日(BDEG)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2004年8月14日