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蜀江坂(しょっこうざか)

所在地: 新宿区北新宿1丁目と2丁目の間 → 地図 

@ 坂下から

A 坂下から少し上ったところから見下ろす。

B Aから更に上ったところから見下ろす。

C Bとほぼ同じ地点から見上げる。

D BCから少し上った地点から見上げる。右に標識が見える。

E Dとほぼ同じ地点から。2003年撮影。右に標識は木製であった。

F DEとほぼ同じ地点から。左に標識が見える。

G Fとほぼ同じ地点から。2003年撮影。左に木製の標識が見える。

H FGから少し上ったところから見下ろす。

I Hとほぼ同じ地点から見上げる。

J HIから更に上ったところから見下ろす。

K Jとほぼ同じ地点から見上げる。

L JKから更に上った地点から見下ろす。

M Lとほぼ同じ地点から見上げる。

N 坂上から。右に標識が見える。

O 坂上から。2003年撮影。右に標識が見える。

P 坂下部にある標識(新宿区教育委員会設置)

Q Pと同じ場所にかつてあった木製の標識。2003年撮影。

R 坂上にある標識(新宿区教育委員会設置)

【標 識】
説  明
 かつてこの辺りが蜀江山と称されていたためこう呼ばれる。蜀江山の由来は、天慶の乱の時平将門(あるいは弟の将頼)が蜀江錦の衣の袖を落としたから、あるいは江戸時代に三代将軍家光が鷹狩でこの地を訪れた時、紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと称賛したからだという。
設置者: 新宿区教育委員会
設置日 平成十三年三月(坂上)、平成十九年一月(坂下)


【この坂について】
 
 新宿区北新宿1丁目と2丁目の間を、南から北に向けて上る坂道です。坂下部は北新宿1丁目34番と2丁目3番の間、坂上部は北新宿1丁目32番と2丁目4番の間になります。

 標識は、坂上と坂下部に新宿区教育委員会設置のものが立っています(写真PR)。坂下部の標識はかつては木製のもの(平成三年九月設置)であり、その説明文は現在と異なり以下のとおりでした。
かつて、このあたりは蜀江山と称されていた。坂名はこれに因むものである。蜀江山の由来については次のような説がある。天慶の乱の際、この地で平将門が蜀江錦の衣の袖を落としたから、あるいは 【字がかすれて判読できず】との戦いで切り落とされた衣の袖から。また江戸時代、三代将軍家光が【字がかすれて判読できず】際、【字がかすれて判読できず】紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと称賛したから、などである。

【写真撮影日】 2003年1月5日(EGOQ)、2008年7月19日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2003年1月10日
【このページの作成日】    2008年7月20日