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ゼームス坂(ぜーむすざか)
 別  名: 浅間坂
 所在地: 品川区南品川五丁目と六丁目の間(「ゼームス坂通り」)  ⇒ 地図
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| @ 坂下の南品川五丁目交差点から。2002年撮影。右にかつてあった標識が見える。 | 
      A 同じく坂下から。右に標識が見える。 | 
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|  B @Aから100m弱上った所から見上げる。右に見えるマンションは「三越ゼームス坂マンション」。 | 
      C Bに見える交差点を右に入った所にある三越ゼームスマンション前の「ゼームス邸跡地」の碑 | 
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| D Bから更に上った所から見上げる。 | 
      E Dから少し上った所から見下ろす。 | 
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| F Eから更に上った所から見上げる。 | 
      G Fから更に上った所から見下ろす。 | 
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|  H Gから更に上った所から見下ろす。 | 
      I 坂上から。右に標識が見える。 | 
    
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| J 坂下にある標識(品川区教育委員会設置)。 | 
      K Jと同じ標識。 | 
      L 「ゼームス坂通り」の標識 | 
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| M 坂上にある標識(品川区教育委員会設置) | 
      N Mと同じ標識。 | 
      O かつて坂上の同じ場所に設置されていた標識(東京都品川区教育委員会設置) | 
    
| 【標 識】 説 明: もとは浅間坂と呼ばれ、かなりの急な坂でした。片側は切り落としになっていて、崖の向こうには品川の海が間近に迫って見えたそうです。 明治時代、この坂の途中に英国人J・M・ゼームスが住んでいたことから、ゼームス坂と呼ばれるようになりました。 設置者: 品川区教育委員会 設置日: 記載なし  | 
    
【以前の標識(東京都品川区教育委員会設置)の説明(写真H)】
 もとは浅間坂と呼ばれて、かなりの急坂であった。片側は切り通しで、崖の向うには品川の海が間近に迫って見えた。明治時代、英国人、ジョン・M・ジェームスの邸が坂の途中にあったのでこう呼ばれるようになった。
【この坂について】
 南品川五丁目交差点から南へ上る長い坂道です。坂道の通りは「ゼームス坂通り」と呼ばれています。
 標識は、坂上と坂下にそれぞれが品川区教育委員会設置の黒色の角柱(品川B型)があります。かつては東京都品川区教育委員会により白い金属製の角柱(品川A型)が設置されていました(写真O)
 坂道の中ほど西側に坂道に面して「三越ゼームス坂マンション」があります(写真B)。この脇を西に入る道をしばらく行くと、同マンションの裏手に当たる入り口に、石にはめ込まれた写真Cの碑があります。この碑には次の文言が刻まれています。
|   ゼームス邸跡地について 此の処は、南品川英国人ジョンMジェームス邸跡地である。 Mジェームスは慶応二年(一八六三年)二十八歳の時来日した。そして坂本竜馬等とも知り合い後に日本海軍創設に貢献し明治五年海軍省雇入れ以降幾多の変遷を経て住いを此の地に構え隣人に慕われつつ明治四十一年七十歳にて没した。 墓は身延山本堂裏山に在り「日本帝国勲二等英国人甲比丹ゼームス之墓」と刻まれている。 その頃のジェームス在りし日を偲ぶ庭の欅も品川区の保存指定樹として樹齢百数十年の姿をそのままに苔むす石垣と共に昔の面影を今に止めている。 昭和五十八年十月  | 
    
【写真撮影日】 2002年6月22日(@DHO)、2004年2月21日(左記以外)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】  2004年2月26日(2010年9月19日一部修正)