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寮の坂(りょうのさか)
所在地: 世田谷区尾山台一丁目と尾山台二丁目の間 →地図
@ 坂下から。左手に傳乗寺山門が見える。 |
A 傳乗寺山門 |
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B @から少し登り坂道は右に蛇行する。この左手に宇佐神社がある。 |
C Bから更に登り坂道は今度は左に曲がるが、あとは直線。 |
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D 坂半ばから見上げる。左にあるのはリトアニア大使館。 |
E Dから少し上ったところから見下ろす。右にリトアニア大使館。 |
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F 坂上部を見上げる。 右手に標識と「寮の坂」由来の石板が見える。 |
G 坂上部から見下ろす。左手に石柱の標識と「寮の坂」由来の石板(電柱の後ろ)が見える。1999年撮影。 |
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H 坂最上部 |
I 「寮の坂由来」の石板。標識の横にある。 |
J 標識。坂上にある。 | K Jの裏側。 |
【標 識】 説 明(「寮の坂の由来」の石板): 松高山傳乗寺は、区内における古刹であり、その縁起は遠く後伏見天皇の正和五年(一三一六)と刻まれた板碑の発掘によっても知られるものである。往昔傳乗寺は坂の東側台地に所在し、かつ本道とならんで僧侶の学寮が建てられていたために、この坂道を土地の人日は寮の坂と呼んでいる。坂上にある民家の屋号が堂の上と通称されていたことと考え合わせると、この坂の名称の由来が思い起こされる。 なお、寮の坂の東側にある雙葉学園を抱く盆地は、室町時代に籠谷戸と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔滔と打ち寄せ、時の奥沢城主大平出羽守は、上流から運ばれた武器、兵糧の類を籠谷戸の寮の坂あたりに陸揚げして城へ運び入れたともいい伝えられている。さらに時代は下り、江戸時代に入ると、川崎泉沢寺と奥沢浄真寺の中間軍事拠点として小山傳乗寺がこれに当り、寮の坂は軍用道路として兵馬の往来がはげしかったそうである。 設置者: 不 明 設置日: 昭和六十年三月 |
【この坂について】
世田谷区尾山台一丁目と尾山台二丁目の間、傳乗寺の前から南から蛇行しながら北へ登る坂道です。
坂の途中に宇佐神社やリトアニア大使館があります。坂を更に登ると環八通りに突き当たります。
標識等は、坂上にあります。大きな石製の「寮の坂」と書かれた標識(写真JK)と、その隣に「寮の坂由来」と書かれた石板(写真I)があります。
【写真撮影日】 1999年(G)、2004年2月29日(G以外)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】 2004年2月29日(2010年6月13日に微修正)