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綱の手引坂(つなのてびきざか)
別 名: 綱が手引坂、手引坂、小山坂、姥坂、馬場坂
所在地: 港区三田一丁目と二丁目の境界 → 地図
@坂下から。左手前に標識が見える。 |
A 坂下から。右に標識が見える。 |
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B 坂下から上り、赤羽小学校交差点の手前から見上げる |
C Bから更に上り、赤羽小学校前交差点の上から見下ろす |
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D 坂上から。左に標識が見える。この左側に簡易保険事務センターがある。 |
E Dと同じ場所から。1999年撮影。 |
F 坂下にある標識(港区設置) |
G かつてFの位置にあった標識(港区、平成三年十月設置) |
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H 坂上にある標識(港区設置) | I かつてHの位置にあった標識(港区、平成三年十月設置) |
【標 識】 説 明: 平安時代の勇士源頼光の四天王の一人渡辺綱にまつわる名称である。姥坂(うばざか)とも呼んだが、馬場坂との説もある。 設置者: 港 区 設置日: 平成十六年十二月 |
【この坂について】
桜田通り(国道一号線)の三田一丁目交差点から西に上る坂道です。坂上の北側は日本郵政公社簡易保険事務センターです。
標識は港区設置のものが坂上と坂下にそれぞれ一本立っています(写真FH)。2004年に、写真GIにある標識から、写真FHの標識に新しく置き換わりました。
この坂道の名前(綱の手引坂、綱が手引坂)の由来となった渡辺綱(わたなべのつな)(953〜1025)については、綱坂のページを参照のこと。同じく渡辺綱に名称が由来する坂道である綱坂は、この坂道の坂上の簡易保険事務センター前を南に折れたところにあります。
坂名ある「手引」の意味は不明です。
別名の「小山坂」の由来は、この坂道が旧三田小山町の坂なのでつけられたとのこと(石川『江戸東京坂道事典』)。姥坂、馬場坂の坂名の由来は不明です。
【写真撮影日】 1999年(E)、2003年6月8日(@ABCDGI)、2007年5月26日(FH)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】 2007年4月24日、(2007年5月26日写真追加、2010年9月23日一部修正)