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鮫河橋坂(さめがはしざか)
所在地: 港区元赤坂二丁目と新宿区若葉一丁目(坂上〉/南元町(坂下)との境界、都道414号線 → 地図(港区赤坂方面)、 地図(新宿区四谷・信濃町方面)
@ 坂下の南元町交差点から。この右に鮫が橋門がある。 |
A 同じく坂下から |
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B 坂下から少し上ったところから見上げる。この左方にみなみもと町公園がある。 |
C Bとほぼ同じ所から見上げる。2003年撮影。左に「みなみもと町公園」の表示板が見える。 |
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D BCから少し上ったところから見下ろす。 |
E Dとほぼ同じ所から見上げる。 |
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F DEから少し上ったところから見下ろす。 |
G Fと同じ所から見上げる。 |
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H FGから更に上った坂上部から見下ろす。2003年撮影。 |
I 坂上から。 |
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J 坂下にある鮫が橋門。2003年撮影。 |
K 坂下部にある新宿区立みなみもと町公園の案内板。2003年撮影。 |
【この坂について】
港区元赤坂二丁目と新宿区南元町(坂下)/若葉一丁目(坂上)の境界を北へ上る坂道です。坂の東側には迎賓館、赤坂御用地、西側には新宿区立みなみもと町公園(坂下部)や学習院初等科(坂上部)があります。坂下は安鎮坂の坂下でもあり、赤坂御用地鮫が橋門(写真J)があります。
坂道の標識はありませんが、坂下部の西側(新宿区側)に、新宿区立みなみもと町公園の案内板(写真K)があり、そこに以下の説明が書かれています。
みなみもと町公園一帯は、昔から低い土地で、ヨシなどの繁った池沼があり、周囲の土地からわきだす水をたたえ、東南の方向へ流れて鮫河となり、赤坂の溜池にそそいでいました。
江戸時代になってからは水田となり、寛永年間に行われた江戸城の外堀工事の際に余った土で埋め立てられて、町になったといわれています。
鮫河には橋が架かっていて、鮫河橋と呼ばれていました。鮫河橋は「江戸名所図会」にもとりあげられて有名になったので、この付近一帯を鮫河橋と呼んだ時代があり、今でもみなみもと町公園前の坂に「鮫河橋坂」という名前を残しています。
【写真撮影日】 | 2003年1月11日(JK)、2003年6月21日(CH)、2010年12月4日(DFG)、2010年12月5日(@ABEI) |
【この坂の本サイト掲載日】 | 2003年1月11日 |
【このページの作成日】 | 2010年12月11日 |