HOME目黒区の坂(3)目黒・下目黒方面>富士見坂

富士見坂(ふじみざさか)

所在地: 目黒区目黒一丁目一番と二番の間 ⇒ 地図

@ 坂下から。左に傾斜15度の表示がある。

A 坂下部を見下ろす

B Aの撮影地点付近(やや下)から見上げる

C 坂の中ほどから見下ろす。右に東京都教職員研修センター等がある

D 坂の中ほどから見上げる

E 坂上部から見下ろす

 F 坂上から

G 坂の中ほど北側にある東京都教職員研修センター・東京都教育相談センター。


【この坂について】
 
目黒区目黒1丁目1番と2番の間を西から東に登る坂道です。坂道の北側には東京都教職員研修センター・東京都教育相談センターがあります。
 坂道の標識は設置されていません。

 この坂について、岡崎清記『今昔東京の坂』は、
「富士見坂(目黒1ー1、都立教育研究所前)西南に下る急坂。地元の人は富士見坂と呼んでいるそうだが、もとは無名坂であったのではないか」
と書いています。

 また、東京坂の会『平成富士見坂考』では、この坂道について、
 「目黒富士見坂
 目黒の富士見坂は歴史が新しく、大正の頃にできたようで坂標もなく、地図にも載せられていませんが、富士山方向に真っ直ぐに伸びる坂です。坂上一帯の台地は千代が崎と言われ、西に富士東に品川の海が見える景勝の地でした。今は建物に遮られて富士を見ることはできません。しかし実を言うと遠方のマンションの屋上給水塔の脇に僅かに頂上付近のスロープが確認できるのです。だが頂上を見ることはできず、通常に見ていたのでは富士山と気づく人は少ないでしょう」
と書かれています。この坂からは富士山は見えないようですが、『平成富士見坂考』の別のページによると、、この坂の南にある坂道からは富士山はよく見えるようです。

 なお、「千代が崎」については、目黒区教育委員会が設置した標識が、坂の中ほど、東京都教職員研修センター等の前の植え込みの中にあり、
 「千代が崎 目黒1−1
  この付近一帯を千代が崎といい、昔は東に品川の海を、西に富士山を眺める眺望のよいところであった。
  江戸時代には、島原の藩主松平侯の別邸があったところでもある。その庭園のあまりの見事さに、ここを絶景観と呼んだという。
 現在の都立教育研究所の敷地は、その庭園の一部で、そこには三田用水を利用した三段の滝や泉があり、また大きな池もあった。

 南北朝時代の武将新田義興が、多摩川の矢口の渡しで正平13年延文三年(1358)謀殺されたのを、その側室千代が悲しみ、この池に入水して死んだことから、千代が池と呼ぶようになったといい伝えられている。
   昭和58年3月 東京都目黒区教育委員会」
と書かれています。


【写真撮影日】 2004年9月19日(@ABCDEFG)

【この坂の本サイト掲載日】 2004年9月19日
【このページの作成日】    2004年10月3日(2010年9月19日一部修正)