HOME千代田区の坂(7)神田駿河台方面(その1)>女坂

女坂(おんなざか)

 所在地: 千代田区猿楽町二丁目   ⇒ 地図

@ 坂下から(2010年8月)


A 同じく坂下から(2004年3月)。右手の建物は建て替えのため、取り壊されていた

B 同じく坂下から(2002年8月)。右に見えるのは建替前の建物。


   
C 同じく坂下から(1999年)。

  D 坂下から上り第一の踊り場のやや下から見下ろす。

  E Dと同じところから見上げる。

   
F DEとほぼ同じところから見上げる。2004年撮影。

  G 第一の踊り場から見上げる

  H 第一の踊り場付近から見上げる。1999年。

   
I 第一の踊り場から少し上ったところから見下ろす。


   J Iと同じところから見上げる。


   K 第二の踊り場の少し上から見下ろす。後出Qとほぼ同じ地点から。

 
L 第二の踊り場近くから見下ろす。2004年撮影。

   M 同じく第二の踊り場近くから見下ろす。

N 第二の踊り場の少し下から見上げる。


O 同じく第二の踊り場の少し下から見上げる。2004年撮影。この時点では第二の踊り場にあった標識(千代田区設置)が右に見える。

P 第二の踊り場の少し上から見下ろす。かつて標識があったところは、建物の入り口となっている。この建物が立ったため、標識が移転されたと考えられる。

Q 同じく第二の踊り場の少し上から見下ろす。2004年撮影。この時点では第二の踊り場にあった標識(千代田区設置)が左手に見える。

 
R 坂上。左手前に駿河台西町会設置の石製の標識が見える。
 
  S 同じく坂上。左に駿河台西町会設置の標識、右に千代田区設置の標識が見える。


(21) 同じく坂上。左に駿河台西町会設置の標識、右に千代田区設置の標識が見える。


(22) 坂上にある石製の標識。表面には「駿河台 女坂」、裏面には「昭和五十年一月 駿河台西町会 日下部大喜」と彫られている。

(23) 坂上にある標識(千代田区設置)

(24) (23)と同じ標識(千代田区設置)

 
 (25) 第二の踊り場にあった時の標識(千代田区設置)。2004年撮影。

  (26) (25)と同じく第二の踊り場にあった時の標識(千代田区設置)。2002年撮影。

【標 識】
説明
  この坂を女坂といいます。駿河台一丁目七番地の端から猿楽町に下る坂「男坂」に対して名付けられたものです。男坂が一直線の急坂であるのにくらべ、中途で中やすみするようになっているので、「女坂」と呼ばれています。この坂のできたのは、大正一三年(一九二四)八月政府による区画整理委員会の議決により作られたものです。
設置者: 千代田区
設置日 昭和五十年三月


【この坂について】
 猿楽町からマロニエ通りに登る階段状の坂道です。途中二つの踊り場があります。「女坂」とはいいますが、この坂の東約100メートルにある男坂ほどではないものの、傾斜は急です。

 標識は、千代田区設置の金属柱のものと、駿河台西町会設置の石製の小さな標識の2種類があります。
 前者の千代田区設置の標識は、以前は第二の踊り場(2つある踊り場のうち上の方)に設置されていました(写真25,26)が、設置場所がその後建て替わった建物の出入口に当たったからでしょう、下部が切り取られ、坂上に移設されています(写真(23)(24))。
 後者の標識は、坂上におかれています(写真(22))。


【写真撮影日】 1999年(CH)、2002年8月3日(B(22)(26))、2004年3月21日(AFLOQ(25))、2010年8月8日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】 2004年3月27日 (2010年8月14日写真追加等一部修正)