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横見坂(よこみざか)
別  名: 横根坂(よこねざか)
所在地: 文京区湯島3丁目9番と11番の間 → 地図 
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| @ 坂下から。 | 
      A 坂下から少し上った所から見上げる。 | 
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| B Aから更に上ったところから見上げる。左手に標識が見える。 | 
      C Aから更に更に上ったところから見上げる。右に標識が見える。 | 
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| D BCから少し上ったところから見下ろす。右手に標識が見える。 | 
      E Dから少し上った地点から見下ろす。 | 
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| F 坂上から | 
      G 標識の拡大図 | 
    
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| H 坂の半ばにある標識(文京区教育委員会設置) | I Hの標識を道路側から見る | 
| 【標 識】 説 明: 『御府内備考』に 「右坂は町内より湯島三組町え上り候坂にて、当町並本郷新町家持に御座候・・・・・・里俗に横根坂と相唱申候」とある。 坂下の蔵前通りの新妻恋坂の一帯は、かって樹木谷といわれ、樹木が茂っていた、この谷から湯島台に上るこの坂の左手に富士山が眺められた。 町の古老は、西横に富士山がよく見えて、この坂を登るとき、富士を横見するところから、誰いうとなく横見坂と名づけられたといっている。 坂の西側一帯は、旧湯島新花町である。ここに明治30年頃、島崎藤村が住み、ここから信州小諸義塾の教師として移って行った。 その作品『春』の中に、 「湯島の家は俗に大根畠と称えるところに在った。・・・・・・大根畠は麹の香のする町で」とある。ローム層の台地は、麹室には最適で『文政書状』には、百数十軒の麹屋が数えられている。 設置者: 文京区教育委員会 設置日: 昭和56年3月  | 
    
【この坂について】
 
 文京区湯島3丁目9番と11番の間を、南から北へ上る坂道です。坂下は新妻恋坂の途中になります。新妻恋坂をはさんだ反対側には樹木谷坂があります。
 
 標識は、坂の中ほどに文京区教育委員会設置のものが立っています(写真HI)。
【写真撮影日】 2002年5月12日(AG)、2007年4月14日(@BCDEFHI)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2008年7月25日(2010年10月9日一部修正)