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薬師坂(やくしざか)

別  名: 薬師寺坂(やくしじざか)、浄雲寺坂(じょううんじざか)、白山坂(はくさんざか)
所在地: 文京区白山1丁目と5丁目の間 → 地図 

@ 坂下手前から。このあたりから少しずつ上りになる。

A 坂下から。2002年撮影。

B Aから少し上った所から見上げる。左手前に見えるのは都営地下鉄白山駅入口。

C Bから少し上った地点から見上げる。左手前に標識が見える。

D Cから少し上った地点から見下ろす。中央に標識が見える。

E Dから少し上った地点から見下ろす。右に標識が見える。

F Eから少し上った地点から見上げる。

G Fから少し上った地点から見下ろす。

H Gとほぼ同じ地点から見上げる。

I Hから少し上った地点から見上げる。

J Iから少し上った地点から見下ろす。2002年撮影。

K 坂上から。

L 坂上の白山上交差点から。旧白山通りとここで交わる。

M 坂下手前にある浄雲院心光寺。坂名の別名の由来となった


N 坂半ばにある標識(文京区教育委員会設置)

O Nの標識の説明板。

P Nの標識の説明板。2002年撮影。プレートは同じだが枠に色があった。

【標 識】
説  明
 「妙清寺に薬師堂有之候に付、里俗に薬師坂と相唱申候」(『御府内備考』)坂上の妙清寺に薬師堂があったので、薬師坂と名づけられた。また、坂下に浄雲院心光寺があったので、浄雲寺坂とも呼ばれた。また近くに白山神社があり、旧町名が白山前町で、白山坂ともいわれるなど、別名の多い坂の一つである。
 『新撰東京名所図会』には、「薬師堂は、土蔵造一間半四面。「め」の字の奉額、眼病全快者連名の横額あり」、と明治末年の姿を記している。
 このお薬師は特に眼病に霊験あらたかであったようである。土蔵造は、江戸の防火建築で、湯島本郷辺の町屋が土蔵塗屋づくりを命じられたのは、享保15年(1730)の大火後である。現存するものに無縁坂の講安寺本堂がある。

設置者:
 文京区教育委員会
設置日 平成14年3月


【この坂について】
 文京区白山1丁目と5丁目の間を南方から北方に上る坂道です。白山通りの白山下交差点から旧白山通りの白山上交差点へ向かう道にあります。坂の脇に都営地下鉄白山駅の入口があります。

 坂名の別名の由来となった浄雲院心光寺が坂下手前にあります(写真M)
 
 坂道の標識は、坂上に文京区教育委員会設置のものが立てられています(写真NOP)。なお、2002年(写真P)には現在と異なり枠が色づいていました、また、その後、説明板の文章の誤字が3か所修正されています(×愛唱申候→○相唱申候、×白山前野→○白山前町、×新選東京名所図会→○新撰東京名所図会)

【写真撮影日】 2002年8月24日(AJP)、2007年9月2日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年9月6日
【このページの作成日】    2008年6月7日(2010年10月8日一部修正)