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豊坂(とよさか)

所在地: 文京区目白台1丁目6/7/8/18番と9/17番の間 → 地図

@ 坂下から。

A 坂下から少し上ったところから見上げる。2002年撮影。

B Aから少し上ったところから見下ろす。

C Bとほぼ同じところから見上げる。

D BCから少し上ったところから見上げる。2002年撮影。


E Dから少し上ったところから見上げる。右に標識が見える。坂はここから西に曲がって上る。

F Eから少し上ったところから見下ろす

G Eから少し上ったところから見上げる。

H Gから少し上ったところから見下ろす。

I Hとほぼ同じところから見上げる。

J Iから少し上ったところから見下ろす。

K Jとほぼ同じところから見上げる。坂はここから北に曲がって上る

L JKから少し上ったところから見下ろす。

M Lとほぼ同じところから見上げる。

N LMから更に上ったところから見下ろす。

O Nとほぼ同じところから見上げる。

P NOから少し上ったところから見下ろす。

Q Pとほぼ同じところから見上げる。

R 坂上近くから見下ろす。2002年撮影。

S 坂上から。

(21) 目白通り沿いの歩道橋から豊坂を望む。

(22) 目白通りの日本女子大前より豊坂の坂上を望む。


(24) (23)の標識の説明板。
(23) 坂半ばにある標識(文京区教育委員会設置)。



【標 識】
説  明
 坂の名は、坂下に豊川稲荷社があるところから名づけられた。江戸期この一帯は、大岡主膳正の下屋敷で、明治になって開発された坂である。坂を下ると神田川にかかる豊橋があり、坂を上ると日本女子大学前に出る。
  目白台に住んだ大町桂月は『東京遊行記』に明治末期このあたりの路上風景を次のように述べている。
 「目白台に上れば、女子大学校程近し。さきに早稲田大学の辺りを通りける時、路上の行人はほとんど皆男の学生なりしが、ここでは海老茶袴をつけたる女学生ぞろぞろ来るをみるにつけ、云々」
 坂下の神田川は井之頭池に源を発し、途中、善福寺川、妙正寺川を合わせて、流量を増し、区の南辺を経て、隅田川に注いでいる。江戸時代、今の大滝橋のあたりに大洗堰を築いて分水し、小日向台地の下を素堀で通し、江戸市民の飲料水とした。これが神田上水である。

設置者: 
文京区教育委員会
設置日
 平成12年3月

【この坂について】
 
 文京区目白台1丁目6番・7番・8番と9番との間を北に上ったのち、西に曲がって上り、更に北に曲がって18番と17番との間を上る坂道です。

 標識は、坂半ばに、文京区教育委員会設置のものが立っています(写真(23)(24))。

【写真撮影日】 2002年7月28日(ADR(24))、2007年8月17日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2008年6月9日(2010年10月12日一部修正)