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炭団坂(たどんざか)

所在地: 文京区本郷4丁目32番と35番の間 → 地図 

@ 坂下手前から

A 坂下から。

B 同じく坂下から。

C 同じく坂下から。

D 坂の中ほどから見下ろす。

E Dと同じ坂の中ほどから見上げる。右に標識が見える。

F 坂上から。左に見える崖の上の道際に「坪内逍遥旧居・常磐会跡」(文京区教育委員会設置)の標識が見える。

G 同じく坂上から。


H 坂の半ばにある標識(文京区教育委員会設置)


I 坂の西脇の崖の上にある坪内逍遥旧居・常磐会跡(文京区教育委員会設置)標識

J Hの標識の拡大図

K Iの標識の拡大図

【標 識】
説  明
  本郷台地から菊坂の谷へと下る急な坂である。名前の由来は「ここは炭団などを商売にする者が多かった」とか「切り立った急な坂で転び落ちた者がいた」ということからつけられたといわれている。
 台地の北側の斜面を下る坂のためにじめじめしていた。今のように階段や手すりがないことは、特に雨上がりには炭団のように転び落ち泥だらけになってしまったことであろう。
 この坂を上りつめた右側の崖の上に、坪内逍遥が明治17年(1884)から20年(1887)まで住み、「小説神髄」や「当世書生気質」を発表した。

設置者:
 文京区教育委員会
設置日 平成6年3月


【この坂について】
 
 文京区本郷4丁目32番(坂上は同10番)と35番の間を、北から南へ登る石段の坂道です。
 なお、文京ふるさと歴史館の本郷界隈史跡マップ炭団坂のページを見ると、次のように書かれています。炭団の写真や明治40年頃の炭団坂の写真も掲載されています。

 本郷の台地より菊坂方面へ下る急な坂道で、現在は53段の階段坂となっています。坂名由来は、「往昔炭団を商ふ者多く居りしに因り」(『新撰東京名所図会』)、あるいは「切立てにて至て急成坂に有之候、往来の人転び落候故」(『御府内備考』)などの説があります。
 ちなみに炭団とは炭にふのりなどを混ぜ、球状に固めた燃料のことです。丸い炭団のように転げ落ちる、あるいは転んで炭団のように真っ黒になるということでしょうか。


 標識は、坂下に文京区教育委員会設置のものが立っています(写真HJ)。

 坂の西側の崖の上に「坪内逍遥旧居・常磐会跡」の標識(文京区教育委員会設置)が設置されています(写真IK)。


【写真撮影日】 2002年5月18日(BG)、2007年8月4日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2007年8月19日