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昌平坂(しょうへいざか)

所在地: 文京区湯島1丁目4番(湯島聖堂)と千代田区外神田2丁目2番(坂下)/文京区湯島1丁目1番(坂上)との間 → 地図 

@ 坂下から。左に「古跡昌平坂」と彫られた石製の標識が見える。

A 坂下から少し上った所から見上げる。

B 坂上部から見下ろす。左に標識が見える。1999年撮影。

C 坂上から。右に上部が欠けた石製の標識が見える。

D 坂上から。

E 標識の拡大図。

F 坂の半ばにある標識(文京区教育委員会設置)

G Fの標識を道路側から見る

H 坂下にある石製の標識。 I 坂上にある石製の標識。上部が欠けている。

【標 識】
説  明
 湯島聖堂と、東京医科歯科大学のある一帯は、聖堂を中心とした江戸時代の儒学の本山ともいうべき「昌平坂学問所(昌平黌)」の敷地であった。
 そこで学問所周辺の三つの坂を、ひとしく「昌平坂」と読んだ。この坂もその一つで、昌平黌を今に伝える坂の名である。
 元禄7年(1694)9月、ここを訪ねた桂昌院(徳川五代将軍綱吉の生母)は、その時のことを次の和歌に詠んでいる。
   万世の秋もかぎらしもろともに
            もうでて祈る道ぞかしこし

設置者:
 文京区教育委員会
設置日 平成5年3月


【この坂について】
 
 文京区湯島1丁目4番(湯島聖堂)と千代田区外神田2丁目2番(坂下)/文京区湯島1丁目1番(坂上)との間を、南から北へ上る坂道です。坂下は相生坂(外堀通り)、坂上は湯島坂(本郷通り)になります。
 
 標識は、坂の中ほどに文京区教育委員会設置のものが立っています(写真FG)。
 このほか、坂下と坂上に、石製の標識が設置されています(写真HI)。坂下の標識(写真H)を見ると、表には「古跡 昌平坂」と彫られ、また裏面に「昭和十二年十二月 建之 五島秀太郎」と彫られています。坂上のものは上部が欠けています(写真I)。


【写真撮影日】 1999年(BE)、2002年5月12日(A)、2004年2月22日(@H) 2004年5月1日(CDFGI)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2008年8月30日(2010年7月10日写真BEを1999年撮影のものに差し替え)