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新坂(しんざか)

所在地: 文京区本郷5丁目33番と6丁目11番の間 → 地図 

@ 坂下手前りから

A 坂下から。

B 同じく坂下から。

C 同じく坂下から。2002年撮影。

D 坂下から少し登ったところから見下ろす。

E Dと同じ時点から見上げる。

F DEから少し登ったところから見下ろす。

G Fと同じ時点から見上げる。右に標識が見える。

H FGから少し登ったところから見下ろす。左に標識が見える。

I Hと同じ時点から見上げる。

J HIから少し登ったところから見下ろす。

K Jと同じ時点からを見上げる。

L JKから更に登ったところから見下ろす。

M Lとほぼ同じ地点から坂上部を見上げる。

N ほぼ坂上から。

O 坂上から。

P 坂上にある太栄館本館。


Q 太栄館本館前にある「石川啄木由縁之宿」の石碑(左)と「石川啄木ゆかりの蓋平館別荘跡」の標識(文京区教育委員会設置。右)。


S Rの標識の拡大図。
R 坂半ばにある標識(文京区教育委員会設置)

【標 識】
説  明
  区内にある新坂と呼ばれる六つの坂の一つ。『御府内備考』に、「映世神社々領を南西に通ずる一路あり、其窮る所、坂あり、谷に下る、新坂といふ」とある。名前は新坂だが、江戸時代にひらかれた古い坂である。
 このあたりは、もと森川町と呼ばれ、金田一京助の世話で、石川啄木が、一時移り住んだ蓋平館別荘(現太栄館)をはじめ、高等下宿が多く、二葉亭四迷、尾崎紅葉、徳田秋声など、文人が多く住んだ。この坂は、文人の逍遥の道でもあったと思われる。

設置者:
 東京都文京区教育委員会
設置日 昭和63年3月


【この坂について】
 
 文京区本郷本郷5丁目33番と6丁目11番の間を、西から東に登る坂道です。傾斜があります。
 坂を登った北側に、上記標識の説明にある旅館太栄館本館(旧蓋平館別荘)があります(写真P)。この前には写真Qに見られるように、「石川啄木由縁之宿」の石碑と「石川啄木ゆかりの蓋平館別荘跡」の標識(文京区教育委員会設置)が設置されています。石碑には、
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて 蟹とたはむる」という彼の「一握の砂」所収の歌が彫られています。
 
 坂道の標識は、坂の半ばに文京区教育委員会設置のものが立っています(写真RS)。


【写真撮影日】 2002年5月18日(CS)、2007年9月2日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2007年9月15日