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梨木坂(なしのきざか)

別  名: 梨坂、奈須坂
所在地: 文京区本郷5丁目6番と7番の間 → 地図 

@ 坂下手前、菊坂通りから

A 坂下から。

B 同じく坂下から。

C 同じく坂下から。

D ABCから少し上った所から見下ろす。

E Dと同じ所から見上げる。

F DEから少し上った所から見下ろす。

G Fと同じ所から見上げる。

H FGから少し上った所から見下ろす。右に標識が見える。

I Hとほぼ同じ所から見上げる。左に標識が見える。

J HIから少し上った所から見下ろす。

K Jと同じ所から坂上部を見上げる。坂を上り切って更に進むと旅館鳳明館がある。

L 坂上から。


M 以前設置されていた梨木坂の標識(東京都文京区教育委員会、昭和63年3月設置)。現在のもの(写真NO)と説明文が若干異なっていた。


N 坂半ばにある標識(文京区教育委員会設置)

O Nの標識の拡大図

【標 識】
説  明
  「梨木坂は菊坂より丸山通りなり。むかし大木の梨ありし故坂の名とす。」と『御府内備考』にある。また、『南向茶話』には、「戸田茂睡(江戸前期の歌学者、『紫の一本』の著者、1629〜1706)という人が、この坂のあたりに住んでおり、梨本と称した」とある。
 いっぽう、江戸時代のおわり頃、この周辺は、菊の栽培が盛んで、菊畑がひろがっていたが、この坂のあたりから菊畑がなくなるので、「菊なし坂」といったという説もある。
 戦前まで、この近くに古いたたずまいの学生下宿が数多くあった。

設置者:
 文京区教育委員会
設置日 平成18年3月


【この坂について】
 
 文京区本郷5丁目6番と7番の間にある坂道です。菊坂通りから折れて、南から北へ上ります。坂を上り切って更に進むと、旅館鳳明館があります。
 
 標識は、坂の半ばに文京区教育委員会設置のものが立っています(写真N)。
 この標識が平成18年に設置される以前に、ほぼ同じ位置に同じ文京区教育委員会設置の標識(昭和63年3月設置)が立っていましたが、そのときの説明文は以下のとおり、現在のものと異なっていました(写真P)。原典を当たっていないので詳細はわかりませんが、冒頭の出典が異なっており(旧説明『改撰江戸志』→現説明『御府内備考』)、また、『南向茶話』に書かれているとされる内容が異なっています。

「梨木坂は菊坂より丸山通りなり。むかし大木の梨ありし故坂の名とす。」と、『改撰江戸志』にある。また、『南向茶話』には、「戸田茂睡(『紫一本』の著者、1629〜1706)という名高い人の庵が、この坂のあたりにあって、その前に大きな山梨の木が一本立っていたので、梨木坂といった」とある。
 いっぽう、江戸時代のおわり頃、この坂のあたりは、菊の栽培が盛んで菊畑がひろがっていたが、この坂のあたりから菊畑がなくなるので、「菊なし坂」といったという説もある。戦前まで、この近くに古いたたずまいの学生下宿が数多くあった。


 なお、文京ふるさと歴史館の本郷界隈史跡マップ梨木坂のページには次のように書かれています。

別名に梨坂・奈須坂があります。坂名の由来は、かつて梨の大木があったため(南向茶話)という説と、周辺に多くあった菊畑がこの坂あたりにないため「菊な し坂」と呼ばれ、それが転じて「なし坂」となった(御府内備考)という説があります。また明治17年測量の陸軍参謀本部製作地図には「奈須坂」と記されて います。「なし」が転じたものでしょうか。

【写真撮影日】 2002年5月18日(CN)、2007年8月4日(左記以外)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2007年8月20日(2010年11月14日一部修正)