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清戸坂(きよとざか)
別  名: 清土坂(せいどざか)
所在地: 文京区目白台2丁目、不忍通り → 地図
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| @ 坂下から。 | 
      A 同じく坂下から。 | 
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| B 坂下から少し上ったところから見上げる。左に東京都設置の標識が見える。 | 
      C Bとほぼ同じところから見上げる。2002年撮影。 | 
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| D BCから少し上ったところにある歩道橋から坂下方向を見る。 | 
      E Dと同じ歩道橋から坂上方向を見る。 | 
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| F 歩道橋の辺りから少し上ったところから見下ろす。 | 
      G Fとほぼ同じ地点から道の反対側を見る。幽霊坂の坂下が見える。 | 
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| H FGとほぼ同じ地点から見上げる。 | 
      I FGHから少し上ったところから見下ろす。 | 
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| J Iとほぼ同じところから見上げる。左に文京区教育委員会設置の標識が見える。 | 
      K IJから少し上ったところから見下ろす。 | 
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| L Kとほぼ同じところから見上げる。 | 
      M KLから少し上ったところから見下ろす。 | 
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| N 坂上の目白台二丁目交差点から。 | 
      O 坂半ばにある標識(PQと同じ)の説明板。 | 
    
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| P 坂半ばにある標識(文京区教育委員会設置)。 | 
      Q Pと同じ標識を道路側から見る。 | 
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| R 坂下部にある標識(東京都設置)。 | S Rと同じ標識を道路側から見る。 | 
| 【標識(写真OPQのもの)】 説 明: 延宝4年(1676年), 御三家 尾張徳川家の御鷹場が、中清戸(現清瀬市) につくられた。 将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。 これが現在の目白通りである。 首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から 目白通りに向っての広い道は、昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。 江戸時代, この坂の北側一帯は、雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地)で、坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。 明治10年代から坂の北側には牧場と牧舎が建ち、平田牧場と言った。 牛乳を売る小売店があり、人々が休憩した。 旗竿には、『官許の牛の乳』と假名と、ローマ字で書かれていたという。 設置者: 文京区教育委員会 設置日: 昭和62年3月  | 
    
| 【標識(写真RSのもの)】 説 明: 目白台上の目白通りは、江戸清戸道といった。中清戸(現清瀬市内)に御鷹場御殿があり、将軍が鷹狩に通う道が造られた。これが清戸道である。 この清戸道から護国寺に下るわき道が清戸坂で、清戸道へ上る坂ということで坂名がつけられた。 坂道の北側に、雑司谷清土村があったので、清土坂とも呼ばれた。 設置者: 東京都 設置日: 昭和59年3月  | 
    
【この坂について】
 
 不忍通りが目白通り(かつての清戸道)に交わる目白台二丁目交差点から、不忍通り(都道437号線)を護国寺方向に向かって緩やかに下る長い坂道です。特に坂下部は傾斜があまりありません。
 標識は、文京区教育委員会のものと東京都のものの2種類が設置されています。前者は、坂半ばに設置されています(写真OPQ)。後者は、坂下部に設置されています(写真RS)。
【写真撮影日】 2002年7月28日(C)、2007年8月17日(左記以外)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2010年7月31日