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杉並区の坂(1) 〜 和田・堀ノ内・成田方面 【3坂】
各坂道の位置はこちら → 地図(未作成)
(十貫坂の位置はこちらへ)
十貫坂 (じゅっかんさか) |
【標識なし】 右の写真は坂下付近です。左側に見える建物は「十貫坂地蔵堂」です。 |
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左内坂 (さないざか) |
【標識なし】 堀ノ内3丁目8と13の間にある坂道です。坂の東側に面して左内坂教会があります。 |
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三年坂 (さんねんざか) |
【標識(杉並区教育委員会設置)の説明】 この右手の坂道は「三年坂」と言われていますが名称の由来は、はっきりしていません。 三年坂と呼ばれている坂は、京都や熊本地方などにも数多くあり、坂名の由来について様々に言われているようです。 東京では江戸時代より三年坂と呼ばれていた坂は、旧東京市内に六か所ほどあるようです。いずれも、地域の境界にあり、昔は急坂で、寺院や墓地がそばにあったり、または、寺院から見えるところにある坂ばかりです。 この坂で転んだものは、三年きり生きられないとか、三年たつと死ぬとか言われた伝承がありました。 当地のこの坂も、ほぼ同種のいい伝えが残されており、かつては、尾崎橋から宝昌寺北へ一直線に上がる坂で成宗村の村境に位置していたと思われます。 明治時代のころの地図でみますと、崖端を直線で登る車馬の通行困難な急坂で、宝昌寺のうっそうとした森と杉二小の崖に挟まれた昼でも暗い、君の悪い物騒な感じのする所だったようです。 そこで、人々は坂の往き来に用心が必要だと言うことから三年坂の名をつけたのではないでしょうか。 通称地名には、昔の杉並をしのばさせるものがたくさんあります。この坂の地名も大切に伝えてゆきたいものです。 写真左で右側が杉並第二小学校(杉二小)、左側が宝昌寺になります。 右は坂上の「三年坂」のバス停があるところからの写真です。写真の左手に標識があります。 宝昌寺 |