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新宿区の坂(7) 〜 落合方面 【8坂】

 閑静な住宅街です。町名でいうと、「新宿区下落合」「新宿区中落合」に当たります。このあたりでは、西から東へ流れる妙正寺川(神田川支流)に向って南へ下る坂道が並んでいますが、特徴としては、傾斜がある坂、距離がある坂が多いことです(市郎兵衛坂は傾斜がないですが)。左右に曲がりくねり全体を一望できない坂ばかりで、写真を撮影する場所のには多少悩みました。
 また、坂道の標識は普通、坂上and/or坂下にあることがほとんどですが、この方面の坂では坂上・坂下に加えて、坂の中腹にも標識があるものがありました(七曲坂、久七坂)。

各坂道の位置はこちら → 地図

相馬坂
(そうまざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
この坂に隣接する「おとめ山公園は、江戸時代には将軍家御鷹場として一般人の立入りを禁止した御禁止山(おとめやま)であった。この一帯を明治時代末に相馬家が買い取って屋敷を建てた。この坂は新井薬師道から相馬邸に向け新たに通された坂道であるため、こう呼ばれた。


おとめやまは「御留(め)山」とも。左の写真において、道の左側がおとめ山公園になります。

右の写真はおとめ山公園の中。木々が生い茂り、入園者もほとんどおらず静かな場所でした。
七曲坂
(ななまがりざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
『豊多摩郡誌』には「七囲り坂 馬場下通 御禁止山の麓にあり、大字下落合字丸山と同本村の中間にあり。曲折七ヶ所より成れる坂道にして昔より本名称を得たるが、明治三十七年開窄して交通に使せり」とある。落合では最も古い坂道の一つで『若葉の梢』に「頼朝公和田山に御出陣の時、軍勢をはかり給わんとて、七まがり坂を開かせ給へりと也。上は鼠山、西は玉川と猪の頭の落合に行き柏木えもん桜へも近し」とある。

別名「七囲り(めぐり)坂」というようです。実際に曲折七ヶ所かどうかは確認できませんでしたが、何回も左右に曲がりくねっているのは確かです。
 
久七坂
(きゅうしちざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
『豊多摩郡誌』に「久七坂 村道元耕作道。字本村に属す、急坂なり」とある。土地の人たちの話によれば、昔、妙正寺川べりの田んぼは 大半山上の農家のもので、久七坂も住家から田んぼへ下る野良道であったという。坂名はゆかりの人名に因むものであろうか。
西坂
(にしざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
『豊多摩郡誌』に「西坂、新宿道、字本村と字不動谷との間にあり」とある。坂名の由来は、この坂が字本村の西に位置するからだという。かつて坂上にあった徳川男爵邸の庭園は、ボタンや菊の時期に一般公開され、この坂辺りも賑ったという。
霞坂
(かすみざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
『豊多摩郡誌』に「霞坂」大字下落合より小学校前へ開穿したる新坂なり」とある。昔、この坂下は一面の水田だったので、春がすみの立つ、のどかな田園風景が美しかったという。

市郎兵衛坂
(いちろべいざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
『豊多摩郡誌』によれば、「市郎兵衛坂 中井道、字不動谷と前谷戸との間にあり」と書かれている。坂名の由来についてははっきりしない。この坂にゆかりのある人名をとったのであろうか。
見晴坂
(みはらしざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
 昔この坂上からの眺望は素晴らしく、特に富士山の雄大な姿は抜群であったという。また、坂下の水田地帯は古来より落合蛍の名所として知られた。坂名はこれらの風景に由来するものであろう。


現在は坂上から新宿の高層ビル街が正面に見えます。
六天坂
(ろくてんざか)
【標識(新宿区教育委員会設置)の説明】
昔、この坂上に第六天の祠が建っていたため、こう呼ばれるようになったという。