南郭坂(なんかくざか)

別  名: 富士見坂
所在地: 渋谷区東二丁目と三丁目の間 → 地図 

@ 坂下部から。このあたりは傾斜が非常に緩やか。


A @から更に進んだところから見上げる。この辺りから傾斜がつく。

B Aとほぼ同じ場所から見上げる

C 坂上部の広尾高前交差点から見下ろす。右に標識がある。

D Cと同じ交差点から見下ろす。右に標識が見える。

E 坂上部の都立広尾高校横から見下ろす


F Cとほぼ同じ場所から見下ろす。1999年撮影。当時は右の塀には蔦が生えていた。
G 坂上部にある服部南郭別邸跡の標識(渋谷区教育委員会設置)

【標 識(服部南郭別邸跡)
説  明
 服部南郭は、江戸中期の儒学者。漢詩人で幼名を勘助、のち元喬といい字を子遷、書斎を芙キョ(※)舘と称しました。
 この場所は、南郭の別邸があったところで、邸前にある坂道は、昔から南郭坂あるいは富士見坂
と呼ばれてきました。
 南郭は、天和三年(一六八三)に京都に生まれ、十六歳の時に和歌と絵画をもって江戸の柳沢吉保に仕え、また、荻生徂徠の門人となって、古文辞学と詩を学びました。三十四歳の時、柳沢家を辞し、ここの別邸で塾を開いて在野の人となり、もっぱら漢詩文に親しみ、後継者の育成に努めました。宝暦九年(一七五九)没。享年七十七歳。
 著書に「南郭文集」「大東世語」「南郭先生燈下書」などがあります。
  (※)「キョ」は「くさかんむり」に「渠」。

設置者:
 渋谷区教育委員会
設置日 (未記載)


【この坂について】
 都立広尾高等学校の南から、渋谷区東2丁目と東3丁目の間を、西方へ、明治通りへ向けて下る坂道です。傾斜は全体的に緩やかです。富士見坂とも呼ばれますが、富士山は見えないようです。

 標識は、坂上部に渋谷区教育委員会設置による「服部南郭別邸跡」に関するものが立っており、そこに、上記のとおり、この坂に関する説明が書いてあります(写真G)。


【写真撮影日】 1999年(F)、2003年6月15日(@ABCDEG)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2004年8月28日