宮益坂(みやますざか)

別  名: 富士見坂
所在地: 渋谷区渋谷一丁目と二丁目の境界 ⇒ 地図

@ 坂下から

A 坂下から。左に標識が見える。

B 坂下から

C 坂上部から


D 坂上からの宮益坂上交差点から。右の道が宮益坂、左が金王坂。


F 坂上にある標識(渋谷区教育委員会設置)

G 坂下にある標識(渋谷区教育委員会設置)
E 坂中ほど北方にある宮益御嶽神社。
宮益坂の中ほど北側から階段を登ったビルの合間にある。

【標識(坂上)】
説  明
ふじみ坂、または渋谷新町とも呼ばれていた、この坂に沿う家並を途中の御岳権現にあやかって正徳三年(一七一三)から渋谷宮益町と称し町奉行管下になりました。
設置者:
 渋谷区教育委員会
設置日 平成七年度
【標識(坂下)】
説  明
 かつて、富士見坂とも呼ばれたこの坂一帯は、古くから矢倉沢往還(大山道中)として江戸の町と郊外農村との接続点であったので、ささやかな商人町を形成していました。ここが渋谷宮益町と称されていたので、宮益坂と呼ばれるようになりました。
設置者:
 渋谷区教育委員会
設置日 平成十三年度


【この坂について】
 玉川通り(国道246号線)の宮益坂上交差点から西に下り渋谷駅東口前の交差点に出る坂道です。坂上で写真Dのように金王坂と合流します。宮益坂の名の由来となった御嶽神社が坂の中ほどの北側、階段を登ったビルの谷間にあります。

 標識は、坂上と坂下に渋谷区教育委員会設置による木製の角柱が立っています(写真FG)。坂上と坂下の標識は、それぞれ設置時期が異なり、説明文も上記のとおり異なっています。

【参考:渋谷区ホームページ・タウンガイドからの引用】
渋谷駅から青山通り(国道246号)へ上がる坂道。江戸時代、坂の途中にある千代田稲荷(現在の御嶽神社)にあやかって、町名を渋谷宮益町に変えたためこの名称がついたといわれます。これ以前は、富士見坂と呼ばれていました。


【写真撮影日】 2002年7月12日(AD)、2003年1月12日(@BCG)、2003年7月13日(EF)

【この坂の本サイト掲載日】 2002年8月14日
【このページの作成日】    2004年8月13日