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大田区の坂(5)〜 南馬込・山王方面 【7坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

鐙坂
(あぶみざか)
【標識(大田区設置)の説明】
大正末期から始った耕地整理によって出来た坂道で、もとは狭い農道であった。坂の名は、伝説によると、梶原景季の愛馬磨墨が、鐙を谷に落としたところという、鐙谷の地名から名付けられたものという。
おいはぎ坂
標識がないのは、やはり名前のせいでしょうか?坂下にあった「馬込文士村散歩」の案内の標識の地図(写真下)によると、この坂が確かに「おいはぎ坂」であることが示されているのですが。


臼田坂
(うすだざか)
【標識(大田区設置)の説明】
坂付近に、古くから臼田を姓とする人が、多く住んでいた関係から、この名が起つたといわれている。
右近坂
(うこんざか)
【標識(大田区設置)の説明】
この坂名の由来については、近くに「右近」という者、あるいは「おこん」という女性が住んでいたからとか、いろいろな伝説があり、明らかでない。
闇坂
(くらやみざか)
【標識(大田区設置)の説明】
むかし、坂側に八景園という遊園地があり、その反対側に加納邸があって、この坂道は細く曲り、八景園の樹木がうっそうとおおいかかり、昼間でも暗かったために、この名がついたといわれている。
八景坂
(はっけいざか)
【標識(大田区教育委員会設置)の説明】
今でこそゆるやかな坂道であるが、昔は相当な急坂で、あたかも薬草などを刻む薬研の溝のようだったところから、別名薬研坂と呼ばれた。
 この坂の上からは、かつて大森の海辺より遠く房総まで一望でき、この風景を愛した人たちにより、「笠島夜雨、鮫洲晴嵐、大森暮雪、羽田帰帆、六郷夕照、大井落雁、袖浦秋月、池上晩鐘」という八景が選ばれ、八景坂というようになったといわれる。
 かつて坂上には、源義家が鎧をかけたと伝えられる松があり、広重らの浮世絵に描かれ、有名であった。

大森駅の西側をJRの線路とほぼ並行して南から北に登る坂道で、商店街となっている賑やかな通りです。坂の中ほどの大森駅南口の正面に天祖神社があり、その登り口のところに標識(大田区文化財「八景坂」)があります。