柘榴坂(ざくろざか)
別 名: 新坂(しんざか)
所在地: 港区高輪三丁目と四丁目の間
坂下から(2003年1月4日撮影) |
坂上から(2002年6月30日撮影) |
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坂下の歩道橋上から(2002年6月30日撮影) |
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坂上にある標識(港区設置)(2003年1月4日撮影) |
【標 識】 説 明: 坂名の起源は伝わっていない。ざくろの木があったためか。江戸時代はカギ形に曲り、明治に直進して新坂と呼んだ。 設置者: 港 区 設置日: 平成二年六月 |
【この坂について】
JR品川駅の西口前から、高輪三丁目と四丁目の間を西に向けて直線に登る坂道です。坂の北側には新高輪プリンスホテル、ホテルパシフィック・メリディアン東京があります。
2003年1月に高輪プリンスホテルの一角で開催されていた写真展(品川周辺に関するものだったと思う)で、この坂が取り上げられていました。その説明にはこうかかれていました。
柘榴坂<新坂>
港区芝高輪3,4丁目の境、JR品川駅前から、プリンスホテル南わきを森村学園のところまで上がる坂です。新坂ともいわれています。
その昔、太平洋戦争中は、この坂は連日のように、東京はもちろん近県から出征する軍人たちが、銃に白布をまき、日の丸の国旗をけさがけにして、品川駅から出る軍用列車を待つ場所になっていました。上海攻略の歩兵第101連隊の加納部隊が東京駅から出発したが、ウースン・クリークで全滅したことから、東京駅は皇居の鬼門であるといい出されたので、この坂が軍用列車を待つ間の小休止場となったのでした。
今では、坂の両側にホテルやマンションまで出来て、明治20年代の風景とはまるで別世界に変わりましたが、坂の勾配だけは依然として形をのこしていますし、品川駅もおおよそ昔の場所にあります。
標識は坂上と坂下に同じものがそれぞれ立っています。
【写真撮影日】
2002年6月30日、2003年1月4日