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乃木坂(のぎざか)

 別  名: 幽霊坂、行合坂、なだれ坂、膝折坂
 所在地: 港区赤坂8丁目11番と同9丁目5番/6番の間、都道413号
  ⇒ 地図

@ 坂下から。

A 坂下から少し上った所から見上げる。2002年撮影。

B Aから少し上った所から見下ろす。

C Bの道路の反対側から見上げる。

 
D Cから少し上った所から見上げる。右手に乃木神社。1999年撮影。

  E Bから少し上った所から見上げる。右奥に石製の標識が見える。

F Dから少し上った所から乃木神社の鳥居を見る。左は東京メトロ乃木坂駅出口。

G Fから少し上った所から見下ろす。左に石製の標識が見える。

H Gの道路の反対側から見下ろす。


I Hとほぼ同じ所から見上げる。坂道はここで左に曲がる。これまでの道を真っすぐ進むと外苑東通りが通る乃木坂陸橋の下にある乃木坂トンネル(写真右)。

 
 J Iから少し上った所から見上げる。

  K Jから少し上った所から見下ろす。

L Kから少し上った所から見下ろす。

M Kとほぼ同じ所から見上げる。

 
N LMから少し上った所から見下ろす。

   O Mの道路の反対側から見上げる。

P 坂上から。


Q 乃木神社前にある坂道の標識(東京赤坂ライオンズクラブ設置)。中央に「乃木坂 由来 乃木大將の殉死された大正元年九月以来幽霊坂が乃木坂と改名された。寄贈 東京赤坂ライオンズクラブ」と彫られた石板が嵌め込まれている。

【標 識】
  
説  明: 由来 乃木大將の殉死された大正元年九月以来幽霊坂が乃木坂と改名された。
  
設置者: 東京赤坂ライオンズクラブ
  
設置日: (未記載)


【この坂について】
 港区赤坂8丁目11番と同9丁目5番/6番の間を東から西へ上り、外苑東通りが通る乃木坂陸橋の手前で南方へ折れ、カーブしながら外苑東通りに交わる坂道です。

 坂の半ばの北側(赤坂8丁目11番)に乃木神社があります。かつてここには、乃木希典大将夫妻が住んでいましたが、明治天皇崩御に殉じて自刃した後、大正12年(1923年)に夫妻を祀る乃木神社がこの乃木邸があった地に創立されました。

 乃木坂と命名される前から、この坂は、幽霊坂、行合坂、なだれ坂、膝折坂と呼ばれていました。岡崎清記『今昔東京の坂』は、これら名称の由来について、以下のとおり説明しています。
 
 坂上で、竜土町(いまの六本木七丁目)へ行く道、すなわち外苑東通りに出会うことから行合坂と呼ばれた。
 なだれ坂、膝折坂は、傾斜の急なこと、また傾斜が急でガクンと膝が折れるという意味で、この坂が急坂であったことを語っている。しかし、現在は、外苑東通りへカーブして上る道が坂になっているが、急坂というほどではない。
 幽霊坂の暗さはいまはないが、『江戸切絵図』(近江屋版)を見ると、丹波山藩主谷播磨守中屋敷と鉄砲場(射撃訓練)に囲まれて「△ユキアヒサカ」とあり、外苑東通りを「リウドトイフ」としてある。人の気のない淋しい道であったことが分かる。
 しかし、幽霊坂という懐しい名は、大正元年(千九一二)九月十九日、乃木将軍の葬儀と同時に廃され、乃木坂に改めたという。坂の北側に乃木神社がある。

 石川悌二『江戸東京坂道事典』は、次の説明をしています。

 赤坂八丁目と九丁目の境を東北に乃木神社社前へ下る坂で、『新撰東京名所図会』は「市兵衛町二丁目より箪笥町との間を下る坂あり、なだれ坂と称す。(中略)なだれの義は勾配強からずして斜に傾きたるを邦語なだれといへるより、蓋しその地勢上に得たる名・・・」と記し、『麻布区史』は「乃木神社の前の坂は旧称を行合坂といった。これは坂上で、青山から竜土町への道筋に行合う因る」とあり、旧赤坂区と旧青山区の境界にあたっていた。

 横関栄一『江戸の坂 東京の坂』においては、「膝折坂」の項に次のとおり記述されています。

 天正十八年八月十九日、徳川家康が青山常陸介忠成に、江戸の邸地を与えたときのことが、『御府内備考』巻之七十に出ている。それによると、「往古此辺に、御成之節、青山家に命ぜられ、老馬を以一円に乗廻すべし、其地を給はるべきのよし、命に依て青山家、即老馬に乗て一円に乗廻されしを給はるところの地なり、其馬此ところにて倒れ死する故、塚に築、上に八幡の宮を勧請有て、青山家より是を駒留八幡と称し、世俗破れ八幡といふは是なり」とある。ここで老馬が倒れたのは膝を折ったからで、それでこのところの坂を膝折坂と言ったのである。『江戸大名町案内』という写本には、「麻布竜土、ひざ折坂あり」と記している。嘉永七年正月の江戸切絵図『赤坂今井辺図』(近江屋版)は、竜土の行合坂の上、突き当たりに「八幡社」とある。これが竜土八幡、青山八幡、馬八幡、駒留八幡などと呼ばれた八幡社であった。したがって、ここの行合坂が、そのときの膝折坂なのである。この坂は、のちに坂下に妙福寺という寺と墓地があったので、幽霊坂とも呼ばれた。
 戦前は乃木邸、乃木神社前の坂なので、乃木坂と命名されていた。

 坂道の標識は、東京赤坂ライオンズクラブが寄贈した石製の標識が坂の半ばの乃木神社前に設置されています(写真Q)。

【写真撮影日】 1999年(D)、2002年8月15日(AHJ)、2007年6月2日(左記以外)
【この坂の本サイト掲載日】  2002年8月14日
【このページの作成日】 2010年11月20日