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鼬坂(いたちざか)

 所在地: 港区麻布台3丁目4番と5番の境界 ⇒ 地図

@ 坂下の手前から鼬坂を望む。坂の左手前の建物の下に黒い柱が見えるが、これはFGにみる「島崎藤村旧居跡」の石柱である。ここから手前方向に少し戻ると植木坂の坂下である。

A 坂下から。



B 同じく坂下から。

C 坂の半ばから見下ろす。

D Cとほぼ同じ地点から見上げる。坂上は外苑東通り。 

E 坂上の外苑東通りから。

F 坂下手前にある島崎藤村旧居跡の石柱。

G Fと同じ。石柱の上には、説明文を彫った石板がある。


【この坂について】
 港区麻布台3丁目4番と5番の境界にある坂道です。坂上は外苑東通りであり、外務省飯倉公館の反対側になります。

 この鼬坂のほか、植木坂、鼠坂については、どこの坂道がそれぞれの名称に該当するのか諸説あるようで、文献によってその示す場所が異なっています。岡崎清記「今昔東京の坂」によると、『御府内場末沿革図書』や昭和十六年刊『麻布詳細図』はこの坂を「イタチ坂」としています。他方で、『江戸切絵図』(尾張屋版)では「鼠サカ」としています。更に、石川悌三「江戸東京坂道事典」はこの坂を「植木坂」としています。ここでは、鼠坂、植木坂のいずれも別の坂道に港区設置の標識があることもあり、岡崎本に従い、この坂道を「鼬坂」とします。

 鼬坂の坂下手前にある建物(メゾン飯倉。港区麻布台3-4-17)の下には、写真FGに見られるとおり「島崎藤村旧居跡」(株式会社東京楽天地 昭和四十八年四月三日建立)の石柱と、説明文を彫った石板があります。石板には次の文章が彫られています。(ちなみに、メゾン飯倉は株式会社東京楽天地の子会社が保有している)

 藤村は七十一才の生涯のうち文学者として最も充実した四十七才から六十五才(大正七年〜昭和十一年)までの十八年間 当地麻布飯倉片町三十三番地に居住した
 大作夜明け前 地名を冠した飯倉だより 童話集 ふるさと おさなものがたり などは当地での執筆である


 坂道の標識は設置されていません。

【写真撮影日】 2004年10月23日(ABCDE)、2007年6月30日(@FG)
【この坂の本サイト掲載日】 2004年10月24日
【このページの作成日】    2007年8月11日