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福吉坂(ふくよしざか)

 所在地: 港区赤坂2丁目15番と17番の間 ⇒ 地図

@ 坂下手前から。

A 坂下から。

B 最初の階段を上ったところから見下ろす。

C Bとほぼ同じ地点から見上げる。

D Cから少し進んだ地点から見下ろす。

E Dとほぼ同じ地点から見上げる。

F Eから少し上った地点から見下ろす。

G Fとほぼ同じ地点から見上げる。

H Gに見える第二の階段を上った地点から見下ろす。

I Hとほぼ同じ地点から見上げる。


J Iから少し進んだ地点から見上げる。左手にOに見える金属製のプレートが見える。

K Jに見える第三の階段を上り坂上から。


L 坂下手前から。

M 坂上から。

N 坂上から見下ろす。右にOのプレートが見える。

O 坂上部にある「福吉坂石段の改修工事について」のプレート

【この坂について】
 港区赤坂2丁目15番と17番の間を、北から南へ向けて上る坂道です。飲食店の入ったビルの間にある石段の坂道です。

 坂道の標識は設置されていませんが、赤坂福吉町会と福吉坂改修工事実行委員会が設置した「福吉坂石段の改修工事について」という金属製のプレートが坂上部に設置されており、この石段が「福吉坂」であることを示しています(写真O)。

 坂道の由来は、このあたりが旧町名で赤坂福吉町と呼ばれていたことに由来すると考えられます。赤坂福吉町の由来については、近くの氷川公園にある「赤坂旧町名由来板」に次のように記されています。

 江戸時代初期には、本町の地域には福岡藩黒田家、人吉藩相良家、菰野藩土方家の屋敷がありました。元禄年間(1688〜1704年)には土方家屋敷が結城藩水野家の屋敷になりましたが、その後、変化はありませんでした。
 明治5年(1872年)、福岡藩・人吉藩・結城藩の三藩邸を合併して一町とし、福岡藩の福、人吉藩の吉をとって「赤坂福吉町」となりました。福と吉という縁起の良い町名ということで、当時、人々の間で評判であったといわれています。
 

【写真撮影日】 2008年7月6日
【この坂の本サイト掲載日】 2008年7月7日
【このページの作成日】 2008年7月11日