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北区の坂(3) 〜 王子・滝野川方面 【9坂】

各坂道の位置はこちら → 地図

六石坂
(ろっこくざか)
【標識(東京都設置)の説明】
東京府村誌に「長さ二十四間広さ三間元と坂上に租六石を納る水田あり故に云ふ」とある。江戸切絵図には「六コク坂」と記されている。
 この道は岩槻街道(旧日光御成道)で、飛鳥山の前へと続いているため花見時などには賑わいをみせた。
 付近にはこの辺りに鷹狩などに来た将軍の休み場としての御立場もあった。

本郷通りにあり、飛鳥山公園の横を登る坂です。
飛鳥大坂
(あすかおおさか)
【標識(東京都設置)の説明】
いまはきわめてゆるやかな勾配だが、「東京府村誌」には「飛鳥山坂、木村(滝野川村)にあり、飛鳥橋の方に下る。長さ一町十二間三尺、広さ三間、坂勢急なり」と記されているように都内でも有数な難所であり、荷車の後押しで手間賃をかせぐ人もいた。昔は将軍家の、日光御社参の行列もここを通った。
  飛鳥山花見てかえるをとめらが
    道のみ坂をゆきなづみたり
                 太田水穂


王子駅東口から急カーブで登る坂道で、都電荒川線が中央を走っています。自動車はかなりのスピードで走っていました。
権現坂
(ごんげんざか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
権現坂とは、この坂を下った交差点から王子神社の鳥居付近まで登っていく坂道を言います。権現という坂の名称は、王子権現社の権現から採った名前ですが、これは、神仏分離以前の王子神社が王子権現と呼ばれていた点に由来しています。坂の下の交差点付近は江戸幕府の将軍が日光東照宮に参拝するための日光御成道の路上にあたり、ここは、三本杉橋という橋も架かっていました。三本杉橋は橋の袂に三本の杉があったのでつけられた名称といわれています。


標識の説明に従えば、写真で坂をいったん登ったところで、道なりに右方向へ行かないで、左折し王子神社の鳥居前まで行くところまでがこの坂になります。
王子神社
王子大坂
(おうじおおさか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
飛鳥山に沿って東におりた岩槻街道は、石神井川を渡って左に曲がり、現在の森下通りを抜け、三本杉橋の石の親柱の@から北西に台地を登る。この坂が王子大坂である。岩槻街道は江戸時代、徳川将軍の日光社参の道で日光御成道と呼ばれた。登り口に子育地蔵があったので
地蔵坂とも呼ばれ、昔は縁日でにぎわった。また、坂の地形が、海鳥の善知鳥の嘴のようなので「うとう坂」の名もある。
王子稲荷の坂
(おうじいなりのさか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
この坂は、王子稲荷神社の南側に沿って東から西に登る坂で、神社名から名前がつけられています。また江戸時代には、この坂を登ると日光御成道があり、それを北へ少し進むとさらに北西に続く道がありました。この道は姥ヶ橋を経て、蓮沼村(現板橋区清水町)まで続き、そこで中山道につながっていました。この道は稲荷道と呼ばれ、中山道から来る王子稲荷神社への参詣者に利用されていました。

かなりの急坂です。左の写真の右手に王子稲荷があります。
王子稲荷正門
三平坂
(さんぺいざか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
名主の滝公園の北端に沿って台地へ登る曲がりくねった坂道である。坂名の由来は、江戸時代の絵図にある三平村の名からとも、室町時代の古文書にある十条郷作人三平の中からともいわれている。農家の人が水田へ下る通路であったが、名主の滝への道としても利用されたようである。


写真では、左側が名主の滝公園です。
御代の台の坂
(みよのだいのさか)
【標識なし】
谷津観音の坂
(やつかんのんのさか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
この坂は、石神井川にかかる観音橋の北から寿徳寺へ登る坂です。」坂名は、坂上にある寿徳寺に谷津観音の名で知られる観音像がまつられているからです。江戸時代には大門通とも呼ばれていました。谷津というのはこの辺りの小字名です。今でも谷津子育観音とも呼ばれる谷津観音へお参りに行く人々などに利用されています。


左の写真の突き当たりに寿徳寺が見えます。寿徳寺は新撰組隊長近藤勇の菩提寺で、その碑が寺前にあります。

右の写真は同じく寺前にある地蔵と標識です。
狐塚の坂
(きつねづかのさか)
【標識(北区教育委員会設置)の説明】
滝野川第六小学校の南から南西へ登る坂です。坂名は、坂を登った東にある滝野川消防署三軒家出張所のところに狐塚という塚があったことによります。ここから南西向い側の重吉稲荷境内にあった寛政十年(一七九八)造立の石像廻国塔に、「これより たきの川べんてん・たきふとう おふし・六阿弥陀・せんちゆ みち」という道標銘が刻まれ、岩屋弁天・正受院への参拝や六阿弥陀詣での人びとが利用したことをしのばせます。

写真右の建物は狐塚のあった滝野川消防署三軒家出張所。手前に見える稲荷社は狐塚を崩したことによる祟りを防ぐために設けられたものだそうです。坂はこの出張所の向う側から下ります。