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北区の坂(1) 〜 田端方面 【8坂】

 JR田端駅の西側にある地域に坂が多く集まっています。比較的狭いエリアに固まっていますので、回りやすいですね。
 この当たりは、「田端文士村」と呼ばれています。明治22年に上野に東京美術大学(現:芸大)ができたこと契機に、明治後期から大正、昭和初めにかけてこの一帯に芥川龍之介、室生犀星、萩原朔太郎、堀辰雄、菊池寛など芸術家が集まったということで、記念館も設けられています。坂道の標識の説明も(芥川が何故か多いが)これら芸術家に因んだ話を記述しているものが多くなっています。

各坂道の位置はこちら → 地図

不動坂
(ふどうざか)
【標識の説明】
田端駅東口から東南へ登る坂です。坂名はかつて田端駅東口付近に石造り不動明王立像が安置され、不動の滝があったことによります。この不動明王像は、明治四十五年(一九一二)五月に始まった田端駅拡張工事により現在地付近へ移され、さらに谷田川改修工事にともない。昭和十年(一九三五)十一月に現在地(田端三ー一四ー一隣接地)へ移され、田端不動尊となっています。

田端駅南口の改札を出るとすぐのところにあります。標識の説明の「東南へ登る坂」は、「西南に登る坂」の間違いでしょう。
与楽寺坂
(よらくじざか)
【標識の説明】
坂の名は、坂下にある与楽寺に由来しています。『東京府村誌』に「与楽寺の北西にあり、南に下る、長さ二十五間広さ一間三尺」と記されています。この坂の近くに、画家の岩田専太郎、漆芸家の堆朱楊成、鋳金家の香取秀真、文学者の芥川龍之介などが住んでいました。
 芥川龍之介は、書簡のなかに「田端はどこへ行っても黄白い木の葉ばかりだ。夜とほると秋の匂いがする」
と書いています

与楽寺(写真右)は坂の上りの始まる50mほど手前にあります。

幽霊坂
(ゆうれいざか)
 【標識なし】

与楽寺の脇の路を行くとある坂です。緑に囲まれた静かな坂です。
上の坂
(かみのさか)
【標識の説明】
坂名の由来は不詳です。この坂上の西側に、芥川龍之介邸がありました。芥川龍之介は大正3年からこの地に住み、数々の作品を残しました。また、この坂の近くに、鋳金家の香取秀真、漆芸家の堆朱楊成、画家の岩田専太郎などが住んでいました。 芥川龍之介は、その住居を和歌に呼んでいます。
 わが庭は 枯山吹きの 青枝の
  むら立つなべに 時雨ふるなり

住宅地の中にひっそりとある坂です。見逃してしまいそうなところにあります。
東覚寺坂
(とうかくじざか)
【標識の説明】
田端切通しにそって台地へ上る急坂で、昔は田端八幡神社の別当寺東覚寺墓地への参道で、「東京府村誌」に長さ二十間、広さ一間三尺」と記されている。寺の前には、二基の大きな仁王の石像があり、病のある部分に赤紙を貼ると、病がなおると信仰されており、谷中七福人の一つ、福禄寿も祀ってある。蜀山人の狂歌「むらすずめさはくち声もももこえもつるの林の鶴の一声」の碑がある。


右の写真は東覚寺の赤紙仁王尊です。赤い紙が張られている仁王像二体が見えます。
ポプラ坂
【標識の説明】
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の名はこれにちなむものです。ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)が作ったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場となったものです。陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、詩人の室生犀星、小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでいました。大正2年、田端に越してきた芥川龍之介は、その1か月目に、ポプラ倶楽部のことを手紙に書いています。

これも住宅地の中にある坂です。田端保育園は坂を登った左側にあります。標識もその前にありました。
八幡坂
(はちまんざか)
【標識の説明】
坂の名は、坂下にある八幡神社に由来します。坂下の上田端児童遊園のところにあった紅葉館に小説家の堀辰雄が下宿していたほか、この坂の近くには、小説家の菊池寛、詩人の室生犀星、画家の倉田白羊、彫刻家である吉田三郎や池田勇八が住んでいました。芥川龍之介は、その随筆に「踏石に小笹をあしらったのは、詩人室生犀星の家」と書いています。


左の写真で、左に木々が見えるところが八幡神社になります。坂上に、「八幡坂通り」と書いた標識もあります。

右の写真は八幡神社です。
江戸坂
(えどざか)
【標識の説明】
田端の台地から下谷浅草方面へ出る坂道で、坂名もそれに由来するもののようです。この坂の近くに、詩人の室生犀星、俳人の瀧井孝作、画家の池田輝方、池田蕉園夫妻、画家の岩田専太郎、詩人の福士幸次郎が住んでいました。坂上の左手に露月亭という茶屋があり、陶芸家である板谷波山が三十五歳の頃、そこで、飛鳥山焼と銘を入れた徳利と猪口を売ったことがあったということです。


田端駅近くにある坂です。直角に折れ曲がっています。坂の内側には田端文士記念館があります。