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蝉坂(せみざか)
別 名: 攻坂
所在地: 北区上中里一丁目 ⇒ 地図
@ 坂下のJR上中里駅の出口前から |
A 同じく坂下から。右に標識(北区教育委員会設置)が見える |
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B 坂の中ほどから坂下を見下ろす。この左側の丘の上に平塚神社の社殿がある。 |
C 坂の中ほど(Bの撮影時点とほぼ同じ場所)から見上げる |
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D 平塚神社の境内から坂上部を見上げる。 |
E Dと同じ地点から見下ろす |
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F 坂上部から見下ろす |
G 坂上から。この左側には平塚神社の境内がある。 |
I 平塚神社の社殿 |
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H 坂下にある北区教育委員会設置の標識 |
【標 識】 説明: 六阿弥陀堂の途上でもある蝉坂という名称は江戸時代の後半にはあったようで、幕府の編纂した地誌『新編武蔵風土記』上中里村の項に「平塚明神ノ傍ニアリ、登リ三・四十間」とあり、このあたりから平塚神社の参道に沿って約五十四mから七十二m余を登る坂道だとあります。坂を登りきって少し歩くと日光御成道と合流しますが、西ヶ原一里塚の方向へ右折してすぐに左折すると六阿弥陀堂第三番札所の無量寺へと向かう道に入ります。明治時代初期の『東京府志料』では「或云、攻坂ノ轉訛ナリト」と室町時代の平塚城をめぐる合戦を彷彿とさせるような坂名の由来を記しています。現在の坂道は昭和十八年七月、昔の坂を拡幅して出来た道です。 設置者: 北区教育委員会 設置日: 平成七年三月 |
【この坂について】
JR上中里駅の出口前から左へ弧を描きながら南西〜南へ登る坂道です。
坂道の西側の丘の上には平塚神社があります。この平塚神社の境内は、かつて平安時代以降に平塚城があったところです。
坂道の標識は、北区教育委員会設置のものが、坂下に1本立っています(写真H)。
【写真撮影日】 2002年11月2日(ABCFGH)、2004年8月7日(@DEI)
【この坂の本サイト掲載日】 2002年11月2日
【このページの作成日】 2004年8月8日(2010年9月3日一部修正)